スペシャリスト秋月

その1 その3 もくじ


その2


 事はある朝突然訪れた。
「秋月くん。ちょっと」
 秋月は部長にいきなり呼ばれ、部長席の前に行った。部長は秋月が机の前に来ると言いにくそうに切りだした。
「秋月くん。いきなりで悪いのだが――、本日付けで異動だ」
「えっ? いきなりですか? それでどこの部ですか?」
「いや――、部というか……とにかく異動なんだ」
「?」
 秋月も部長の言う意味が良くわからない。
「とにかく、本日付けなので早速準備を始めてくれ」
 部長は伏目がちに秋月に命令書を手渡した。そこには
『本社営業部 秋月 右の者 資料室保全部 勤務を命ず』
 と書かれていた。
「部長……この資料室保全部とは……」
「そう、当社資料の整理管理の仕事だと聞いているが……。何故君が?」
「何故と言われましても……」
 部屋にいた他の者たちは『資料室保全係』と聞いてざわめき立つ。『資料室保全部』とは、堅苦しい部署名がついているが、実のところ『閑職部』である。会社の指示に従わないものや、会社に大きな損失を与えた者たちが反省と更正を促される為の部署であり、日々膨大な資料の整理とそのレポートをすることを主業務としている。期限は無い。社長直轄の部署で裁量権は汁粉社長にある。
「おい、保全行きだぞ」
「秋月は何をやらかしたんだ?」
「この間も社長に呼ばれていたぞ」
 同僚たちにも衝撃が走る。
「そんな――、一体私のどこが……」
「わからん。とにかくわからん。何故君なんだ」
 部長も部内のエースが何故異動なのか皆目見当がつかない。
「理由を説明しよう」
「しゃっ、社長!」
 いきなり秋月たちの部署に汁粉社長が姿を現した。
「秋月くんは、社内の機密を故意に他所に漏らした。最近当社のコピー商品がいたるところで散見されている、原因を調査したところ彼の名が浮上した」
「社長! 見に覚えがありません、そんな機密を漏洩することなど……」
「秋月くん、往生際が悪いぞ、もう証拠は全て揃っている。このファイルが動かぬ証拠だ」
「それは、私のファイル……」
 汁粉社長の右手には秋月の名が入ったのファイルが握られていた
「本来なら解雇も辞さないところであるが、当社のエース級を失うには忍びない。だから、しばらくの間だが自らを悔い改める為に資料保全部に行っていただく」
「そんな……」
「社長! 秋月に限ってそんなことするとは思えません! まして会社を裏切る行為なんて……、私が彼の身の潔白を証明します!」
 ものすごい剣幕で桜子が汁粉社長の前に歩み寄ってきた。汁粉社長はその彼女を見て穏やかに諭した。
「桜子くん、秋月くんが大切なのは良くわかるが、動かぬ証拠が揃っている以上、見過ごすわけにはいかんのだ。そして、彼の異動はもう決まってしまったことだ。会社は私情をはさむことは許されない。私とて秋月くんが優秀なのは良くわかっている。しかし、会社の損失を起こしてしまったのであれば、いくら優秀で も処罰されなければならない。だからこそこうするしかないのだ。桜子くん。わかるな」
「わかりません! わかりません……」
 いつしか涙声になる桜子。秋月はそんな桜子を見て意を決した。これ以上この部署には迷惑はかけられない。
「社長。異動させていただきます。宜しくお願いします」
「うむ」
 汁粉社長はうなずいてその場を出て行った。残された秋月は自分の机を片付けを始めた。
「秋月……。反論しないの? 秋月は無実なんでしょ」
 桜子が秋月に話しかける。秋月は無言のまま片付ける。
「黙っていると認めたことになるよ、それでもいいの?」
「……」
「秋月……」
「桜子。ありがとう。しばらく行ってくる」
「秋月。私、信じているから……」
 桜子は涙を拭き、気丈に秋月を見ていた。そこにはいつもの悪態をつく桜子はいなかった。
 机を片付け終わった秋月は荷物を台車に積み、部屋から出て行った。秋月がいなくなった部屋はまるで人がいないかのごとく静かなままであった。時折ファックスの受信音が寂しげに響いていた。

 部屋を出た秋月はそのまま新しい部署『資料室保全部』に向う為に荷物用エレベーター室の前にいた。すると、秋月の部署の部屋から一人の男性部員が小走りに駆け寄ってきた。
「秋月さん。少しお話したいことが」
「なんですか?」
「このままでいいのですか? あんな仕打ちを受けて……」
「君には関係が無いと思うのだが……」
「いいえ、大ありです。絶対秋月さんは保全で終わってはいけない人だと思います」
「そう?」
「実はぜひ秋月さんにお会いしていただきたい方がいるのです。今ここではその方が誰かはお話できないのですが、必ず秋月さんをこのままでは終わらせません!」
 秋月は熱く語るその男性部員をじっと見つめながら考えた。そして、
「わかりました。会うことにします」
 男性部員は秋月の答えを聞くと、急いでまたもとの部屋に戻っていった。その後ろ姿を秋月は見届けてから、エレベーターに乗り込んでいった。

 翌日、社内掲示板にひっそりと掲示された。
『本社 資料保全部 秋月 右の者 自己都合により退職』


 その後の秋月はどうなったか? 
 業界では知れた敏腕社員がはからずも無実の罪をかぶされてしまい、そのまま永年勤めた会社を退職してしまったと聞いてライバル会社が黙っているはずはない。程なくして彼はライバル会社に就職することができた。それも社長室付という高待遇である。
「いやぁ、秋月くんが我が社にきてくれたので鬼に金棒だよ。これからは我が社の時代が来るぞ! あの汁粉社長には随分と煮え湯を飲まされたからな」
「お褒めいただきありがとうございます。粉骨砕身この身を捧げます」
「言ってくれるね、秋月くん。それでこそ我が社が君を引き抜いた甲斐があったものだ」
「いえ、拾っていただいたのは白玉社長のおかげです。幸い私の同僚がここを紹介していただいたから良かったようなものですが……」
 ライバル会社の白玉社長は秋月を迎えられたことがことのほか嬉しいようである。
「とりあえずは君の仕事は、あの汁粉に一泡吹かせることだ」
「はい。わかっております」
「頼むぞ! 期待しているからな。しかし実のところどうなんだ、退職した理由は? 聞けば君は汁粉の所でひどい仕打ちを受けたみたいだね」
「ええ……。実は、私が前の会社を追われたのは、会社機密情報を漏洩したと疑われたからなのです。私自身そんなことした覚えもないのですが、何故か私のファイルが社外に漏れておりました。それで……」
 少し言葉を詰まらせる秋月。その横で白玉は静かにうなずく。
「少しも社員を――私を信じてくれなかった汁粉社長に目にモノを言わせてやろうと思います。その際はぜひ私を使ってやってください」
「社長、よろしいでしょうか?」
 急に秘書が二人の間に入ってきた。
「秋月くん、少し失礼」
 白玉は席を外し、秘書となにやらヒソヒソと話し始めた。時折『報告』『間違いない』『事実』などが断片的に聞こえたのを秋月は聞き逃さなかった。程なくして白玉は満面の笑みを浮かべながら席に戻った。
「いやぁ、秋月くんすまない。社長業が長いとつい人を疑ってしまう。どうやら君の話は本当らしいね。部署を追われた話。やむなく退職した話。すべて本当らしい。疑ってすまなかった」
 急に秋月の両手を取り頭を下げる白玉。そこで秋月はふと疑問に思ったことを質問した。
「白玉社長、何故いきなり私の話を信じていただいたのですか?」
 白玉はいきなり表情が険しくなったが、すぐに緩み、
「実は君の会社に間者を送り込んでいたのだ。君を我が社に紹介した同僚というのは元々は当社の社員だ。何食わぬかをして君の元いた会社に潜り込み、密かに情報を頂戴していたのだ」
「だから、私のことが解った訳ですか」
「そうだ。君があの会社をそういう理由で去ったことも間違いないと解った以上、これからは当社の中枢となり働いていただきたい」
「もちろんです!」
 秋月は力強く答えた。それを見て白玉はうっすらと笑みを浮かべ、
「では、せっかくだから、君に合わせたい人がいる。少し付き合ってくれたまえ」
 二人は会社の地下の倉庫に向った。倉庫の中には小さな部屋があり、果してそこに秋月の同僚だった烏龍が軟禁されていた。
「烏龍さん……」
 秋月は思わず声を上げた。

 ◎その3につづく


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