もどる | すすむ | もくじ

● 第11話 --- 心技体 ●

『心・技・体』という言葉がある。
 武道を嗜む者は一度は耳にしたことがある言葉で、心=精神、技=技術、体=力・体力で、この三つがバランスがよく調和していれば、自身の持てる力を余すこと無くもしくはそれ以上に発揮出来るということを示している。剣道ではこの心技体が整って初めて『気剣体一致』の技が出来る。つまり、この三つの内いずれかが、欠けるか、少ないなどでバランスが悪いとその実力が出し切れないということも表している。
 今の竜太は、このバランスが崩れた状態にあった。明らかに『心ここにあらず』であることが一目瞭然だった。
 試合に集中出来ず、気合が空周りし、身体に余計な力が入り、技のキレが無く、仕方なしに力任せに竹刀を振り回す竜太の剣道は、心技体がすべてバラバラだった。
「竜太はん――何に気をとられているんや。明らかに止心(ししん)や……」
 止心とは、心があるひとつのことに奪われて、他のことが見えず、注意力が行き届かない様をいう。竜太のこの状態見て、剣二は目を覆いたくなっていた。
「このままやと、竜太はんは負けてしまう……」
 口にはしてはいけない言葉がつい漏れる。
 当然に試合は竜太が思うようには運ばない。攻撃しても竹刀の動きが緩慢で、相手に容易に次の技が見抜かれた上に、一方的に相手に攻め込まれ、防戦一方の展開となっていた。竜太自身も自分の力が出せていないことに気がついていたが、今の竜太の集中力ではそれを修復出来ることは出来なかった。
「くそ! 体が思うように動かない――うわっ!」
 竜太の一瞬の迷いが隙となり、竹刀を合わせた状態から、相手の単純な小手から面に続く合せ技を受け、竜太の頭上に竹刀が落ちる。
「面あり、一本!」
 相手の赤い旗が三本上がり、竜太は一本目を失う。
(どうしよう……身体が動かない)
 もう後がない。あせりと不安が竜太の心を押しつぶす。気持ちの整理がつかないまま、開始線まで戻る時、竜太はふと今の面打ちで面紐が緩んでしまっていることに気がついた。普段は緩まないように強く締めているのだが、それが全く出来ないほど気持ちが入っていなかったことに改めて気がついた。すぐさま面紐の結びなおしを願い出た。審判は速やかにするようにと言って、竜太の要求を聞き入れた。結果、少しの時間ができた。
 竜太はすぐに面を外し、頭上の手ぬぐいを直し、面をかぶり直そうとした時、ふと前方に視線を感じた。そこには剣二が竜太に向かって正座しつつ、視線を投げかけていた。
 剣道の試合とは自分と相手だけの戦いの場である。したがって試合中は応援や声援は送れない。剣二は、何とか竜太を平常心に戻そうと竜太の視界に入るように気を入れていたのだ。
「北条……」
 ふと、竜太から言葉が漏れる。だが、その言葉の先は語れない。試合中は他の者と話すこともできないからだ。すると剣二は正座のまま大きく深呼吸をして見せた。あくまでさりげなく。
 そのしぐさを見て、竜太はまだ幼い頃、試合中に集中力が途切れしまったときに、剣二と同じしぐさをして無言で諭してくれたある人物のことを思い出した。
 竜太の父である。
 父は止心になった幼い竜太に対して、無言で正座のまま深呼吸をただ一度だけして見せた。当時の竜太は、父のしぐさの意味が全く解らずにそのまま試合を続け、力を出せないまま負けてしまった。泣きくじゃる竜太に父は一言だけ『自分の気持ちのあり方一つで勝ち負けは決まる』と優しく言ってくれたことを竜太は思い出した。
 時は過ぎ、今の竜太にはそのしぐさの意味を理解出来るようになっていた。あの時の父も今眼前にいる剣二も竜太に『落ち着け!』と諭しているのだ。
 落ち着くとは何か、ここにいるのは何故か、何故桜ヶ丘の剣道部に入りたかったのか、今自分が成すべきことは何か。気持ちの整理をつけるには何が必要か。竜太の中で答えは自然と出てきた。
 竜太は、面をかぶる前にゆっくりと深呼吸をした。自身の気持ちを落ち着かせるために。上がった息を鎮めるために。己の重心を下(腹)に落とすために。そして、集中力を高めるために――。
 それから面をつけ、今度はしっかりと面紐を結ぶ。面金に通し、頭の後ろに紐を合わせ、しっかりと両手で引っ張る。紐は引っ張られると、小気味良い音を奏でた。それが集中力を高める合図となった。一回、もう一回紐を締めていくにつれ、竜太は完全に落ち着きを取り戻していった。
 父のことを発田に言われ、気持ちが乱れてしまった竜太だが、今度は父のおかげで自分を取り戻すことが出来た。
(よし! 行くぞ!)
 竜太は立ち上がり、審判に準備が出来たことを告げた。試合が再開された。
「二本目始め!」
 二本目を開始する合図の後、竜太と相手は立ち上がった。そこで竜太と対している相手の新入生は、竜太の動きが変わったことに気がついた。先刻までの何か落ち着かない間延びした体裁き、剣裁きが微塵も感じられなくなっていた。その代わり、立合いから時間を経つにつれて姿が威風堂々となっていく竜太が、より大きく見えて来ていた。
「こいつ、さっきと同じ奴か? 構えに隙が無くなっているぞ」
 竜太の相手はその姿にいささかの恐怖にも似た感覚を抱きつつあった。

 試合時間は五分。竜太の相手はこの試合であと一本取れば勝ちとなることは解っていたが、今の竜太の気に押されて、残り時間をこのまま凌げればと防戦を選択してしまった。この弱気が竜太に勝機を呼び、相手には致命傷となる。
 竜太は中段の構えから、相手の剣先を払い、面を狙う。防戦となった相手は竹刀中結い辺りでを辛うじて受け止めるが、その次の技が出ない。慌てて間をとるために離れるも、竜太はすぐさま間をつめる。相手は後ろに下がらざるを得なくなり、たまらず場外となる。
「くそ! 急に早くなりやがった」
 思わず相手から漏れる言葉。それだけ竜太の変貌振りについてはいけなかった。 
 両者は中央に戻り試合再開となるが、竜太の攻撃のスピードはさらに速くなり、飛び込み面を繰り出す。しかし身長の差で当たりが浅く、審判は旗を上げない。そのまま竜太と相手は竹刀を合わせた状態になる。竜太は攻め続け相手を竹刀ごとを押しだす。相手はバランスが崩れ、重心が上がり上体がガラ空きになる。そこに竜太は腕(かいな)を返して、
「胴おぉ!」
 と、引き胴を打ち込む。それが鮮やかに決まった。
「胴あり! 一本!」
 審判三人の旗が一斉に竜太の白い旗を上げる。

「おい、今の引き胴を打ったやつはさっきと同じか?」
「いや、変わりすぎだろう……誰だあいつは」
「中村? 第二中の主将か?」
 つい先程までとは全く別人の様な試合運びに、武道場内にどよめきにも似た声が漏れる。
 何より竜太自身が、集中力が戻り、相手の動きが見えるようになった事に加え、身のこなしが軽くなったことを感じていた。
(よし! 身体がかなり軽くなった。これなら行ける!)
「そや、そのスピードが出て初めて竜太はん本来の剣道に近づいたね」
 竜太の試合運びに驚愕を露にする新入生を尻目に剣二は一人満足そうにうなずいていた。

 試合は竜太が一本取り戻して五分五分となったが、もはや、勢いの差では竜太に分があった。
 三本目に入ると、竜太から繰り出す先の先の読む厳しい攻め、隙のない守り、そして何より相手を充分凌駕するだけのスピード。まさに心技体が揃わないとここまではできないというお手本のような試合運びで、相手の新入生は成す術が無かった。
「クソ! こんな所で負けてたまるか!」
 悪態をついても時既に遅し。竜太は闇雲に突っ込んでくる相手の懐に入り、
「小手っ面!」
 冷静に間合いを見切り、小手からの合わせ技で面を決める。審判の旗は、白三本同時に上がり勝負はついた。
 辛くも竜太は緒戦を突破した。

 この試合運びを見て、剣二以外の新入生達は驚嘆と脅威を感じていた。今勝利した中村竜太はここ(桜ヶ丘高校剣道部)の入部試験を受けるにふさわしい実力の持ち主だということを……。
 
 次の試合まで少し時間がある竜太は、試合後に剣二の傍にやって来た。
「北条。ありがとう。助かったよ」
 剣二はそんな竜太の背中を荒々しく叩き迎え入れた。
「ほんま竜太はん、どうかしてるわ! 大事な試合の時に、一番やったらあかん止心なんかになってしもうて!」
 剣二は、かなり怒った口調で文句を言ってはいるが、顔は優しかった。
「ごめん! 本当に俺どうかしていたと思う」
「何してはったん? 試合前に外に行ってはったやろ」
「いや、武道場の前で素振りしていたら、発田先輩を見かけて、そこで……」
 そう言って竜太は口をつぐんだ。
「そこで、何なん?」
「いや……ちょっとそこで考えさせられる様なことを言われて、少し気持ちが乱れてしまって……」
 竜太の微妙な言い回し方に剣二も少し解ったみたいで、
「まあ、言いたくないことやったら、無理に言わんでもかまへんけど。でもな竜太はん! 一生に一度の大勝負の時やからもっと集中してや! うちはあんたとここに入りたいんやからね!」
「……ごめん。北条」
「解っているなら、よろしい。ほら、すぐ次の試合や。今度はここにいる皆を震え上がれせてきいや!」
 剣二は竜太の背中を軽く叩いて気合を入れて送り出した。竜太はその気合に答えるように小手をつけた右手をあげて見せた。その姿を見て剣二は安堵の表情を浮かべた。他の新入生達はこの剣二の行動を見て驚きを隠せなかった。何故ならライバルは一人でも少ない方がいいのだから。
 もちろん剣二自身、この剣道部に入部することを夢見ている。そのために中学の時からこの地にいるのだ。しかしライバルの竜太も一緒に入部しないと意味が無いと思っている。己の剣の道を究めるためには、自分と切磋琢磨している竜太を無くしては出来ないと考えているからである。
 ライバルだが応援する。この剣二の気持ちは他の新入生は理解し難いであろう。
 
「始め!」
 今の竜太にとって最大の敵は自分自身だった。元々中学一、二を争うだけの実力を持ちながら、その力を遺憾なく発揮できない状態から、心技体がそろい、気剣体が一致した竜太は、入部試験を受けている新入生の中では、ほとんど敵無しの状態に等しかった。竜太の竹刀から繰り出される打撃が相手を捉える。
「胴ぉ!」
「胴あり! 一本! 勝負あり!」
 竜太の二試合目は相手に竹刀を打たせること無くわずか一分で勝負を決した。これで竜太は剣二と同じく一次試験を突破した。竜太の技が決まる度に、他の新入生からため息が漏れるほどの見事な勝ちっぷりで……。
「こいつは俺たち――うかうかしていられないぞ……」
 そして、入替え戦に出る二年生達には要注意と促すには充分なくらいに……。 

 竜太の試合が終わると、一次試験が終わった。顧問の嶂南はおもむろに全員に向かってこれからの予定を告げた。
「それでは、一次試験に勝ち残った十名は、最終試験の対戦相手の抽選を行う。抽選後は即試合になるので準備をしておくように」
 対戦相手の抽選は、新入生を二人一組にし、その組の相手となる二年生を選び出していく。その抽選は、嶂南の指名を受けて、東堂しのぶが行った。
 抽選結果は試合場所の横にあるホワイトボードに書かれていく。しのぶは白い箱に入れてある、新入生の札を選び、名前を読み上げていく。
「北条剣二。第一組の二」
 剣二は第一組の二番目となった。そして、次々と新入生の名前が呼ばれていく。そして、
「中村竜太。第五組の二」
 竜太は新入生の中で一番最後に名前が呼ばれた。次に対戦相手の二年生の抽選だ。試合に臨む新入生達は祈るような気持ちで抽選結果を待つ。皆発田とだけは当たりたくないと思っていた。一人また一人と二年生の名前が呼ばれていく。発田の名前はまだ出てこない。そして、第四組目まで抽選が進んだ時、武道場内にどよめきが起こった。
 
 発田の名前は呼ばれなかった。

 つまり、竜太の組の対戦相手は――。
「第五組。発田高道」
 伝説の男、発田に決まった。

「いいね、いいね。それぐらいでないと、ボクが出てくる意味がないからね。存分に楽しませてくれよ『樹神(こだま)の剣士』中村竜太クン」
 発田は、抽選の様子を武道場の隅で一人ほくそ笑みながら眺めていた。
☆お気に召しましたら拍手をお願いします。

もどる | すすむ | もくじ
Copyright (c) 2009 Xing Oolong All rights reserved.