もどる |すすむ | もくじ

● 第13話 --- 気攻理打 ●

 今まさに眼前で決まった組み合わせを見て、竜太、竜太と同組の新入生そして剣二以外の最終試験に残っている者たちからは、安堵のため息が漏れた。
 あまりの事に剣二は竜太にどう言葉をかけて良いか解らなかった。
「竜太はん……」
「何だよ、北条。なんて顔しているんだよ!」
「だって竜太はん――相手が相手やし……」
「なんだよ、別にまだ負けたと決まったわけじゃないだろう。発田先輩がいくら強い人でも、こればかりは実際に勝負してみないとわからないだろう――北条はそんなに俺に負けて欲しいのか?」
 全く持って竜太の言う通りだった。勝負の行方は最後までやってみないと解らないものだ。結果を最初から決めて掛かるのは間違っている。剣二は発田という名前だけですでに気持ちで負けている自分に気がついた。そして、その事に対して深く恥じた。
「そうやった。勝負は下駄を履くまでわからへんかったわ。竜太はんほんまに堪忍な。絶対に頑張って勝ってや!」
「もちろん! 北条も人の心配ばかりしないでそろそろ自分の事も考えろよ――北条の胴紐、少し締め過ぎていないか?」
「えっ?」
 剣二はそう竜太に言われてあらためて自らの胴紐の結び目を確かめた。果たして紐は結び目一個分深く締まっていた。
「うち――いつの間に、こんなにも」
 些細な事だが、胴紐は締めすぎると上半身の動きが若干変わってしまい、それが竹刀の振りに影響する。剣二は自分でも解らないうちに緊張し、気合が入りすぎたためにかなり深く胴紐を締めていた。
 剣二はあわてて胴紐と締め直し、竜太に促され、面、小手の紐も締め直した。
「竜太はん、おおきに。助かったわ」
「さっきは助けてもらったから、これでおあいこ。本当に頑張れよ北条」
「はいな! 竜太はんこそ」
「おう!」
 本当は剣二以上に不安で押しつぶされそうなのに、剣二に自らの試験に集中させるために、そして心配をかけさせないために竜太は精一杯元気に振舞った。そうすることで自分の気持ちに対しても奮い立たせるかのように……。

『どおん! どおん!』
 野太い太鼓の音が武道場に響く。最終試験開始の合図である。
 試験最初の試合は剣二の組だ。
「やっとここまでこれたわ。あと一息や」
 剣二は昂ぶる気持ちをおさえつつゆっくりとその時を待つ。
 武道場に最終試験の開始を告げる声が響き、最初の試合が始まった。しかし程なくして最初の試合が終わる。上級生の勝利である。現実は甘くない。
 すると、組み合わせ二番手の剣二の名が呼ばれた。
「はい!」
 白いたすきを身につけた剣二はゆっくりと武道場の中央に設けられた試合場に入った。一礼の後にその中央に行き、相手の先輩と竹刀を合わせ蹲踞(そんきょ)の姿勢をとった。
 しばし、静寂が訪れる。しかし、それは開始の合図をもって破られた。
「はじめ!」

 主審の声と同時に剣二と相手の先輩が立ち上がった。
「いやあぁ!」
「はあぁ!」
 最初は互いに牽制し、一足一刀の間合いをとり、竹刀の先で小競り合い、技の手合いをはかる。そう簡単に技は出せない。
 剣二の相手の先輩は、はからずも入替え戦に出ているものの、一年前はその上の先輩を破り入部を果たしている以上、剣道の実力はかなりのものである。剣二もそのことは充分理解していた。
「うかつに手は出されへんけど、ここは強気で行かんと……」
 自分に言い聞かせるように剣二はつぶやく。
 両者とも剣先の探り合いで技を仕掛けないまま時間が過ぎる。すると、この間合いに焦れた剣二は右足を引き、一瞬下がってすこし間合いを取るしぐさをした。それを見て相手はすかさず『時得たり』と前に出て行き、間合いを詰めながら剣二の面を狙う。試合が膠着した場合には、むやみに体を引くことは禁物である事を証明するかのように。
 しかし、そこが剣二のとった作戦であった。
 いったん右足を一歩引き、体を引くように見せかけて半身になった剣二は身体をひねり、引いた右足を逆に踏み込み、面打ちを繰り出してきた相手の竹刀に被せる様に相手の面に剣先を打ち込んだ。
「面!!」
「面ー!」
 竹刀同士の擦れる音と面と竹刀との打撃音が響き、双方の竹刀が相打ちとなって頭上で弾け飛ぶが、剣二の竹刀が一瞬早く相手の面を捉えていた。審判はすかさず、
「面あり!」
 と、一斉に剣二のたすき色、白旗を高々と上げる。とたん武道場内に大きなどよめきがおきる。
 剣二の奇襲が鮮やかに決まった瞬間であった。しかし、剣二はこの一本でより面が引き締まりこうつぶやく。
「けど――これからが本番や」
 奇襲に二度目がないことを自分に言い聞かせるように。
 一方で竜太は剣二のこの戦法にかなり危機感を抱いていた。
(北条、これからが正念場だぞ、相手の先輩もこれで火がつくだろうから……)

「二本目、はじめ!」
 今度は相手は案の定簡単には攻めてこなかった。しかし、その一方で剣先は常に剣二の眉間を狙いながら覆いかぶさるように送り足で間合いを詰める。剣二は相手の剣先を弾き、自分の間合いに持ち込もうとするが、相手は左右前後自在に動き、まるで両手を広げて小動物を部屋の隅に追いやるようにゆっくりと足捌きだけで間合いを詰めていく。剣二は下がらざるを得ない。
 剣二が下がれば相手はより前進する。先の一本目と違い完全に相手のペースになると、後は攻めるだけである。
「小手!」
「胴ー!」
「面!!」
 まるで先の奇襲に対して怒りをぶつけるかの様な相手の矢継早の攻撃に対し、防戦一方となる剣二。なんとか打突を竹刀でかわし、体をひねり相手から離れようとするが、相手の体当たりと連続攻撃をまともに受け、徐々に上体が起きてきた。上体が起きると重心が上がり、簡単に体勢が崩れ、攻撃・防御がままならなくなる。
「まずい……技の切返しが早すぎるわ。この人」
 思わず声が出るほどに剣二は成す術が無かった。技を受け、体当たりで徐々に体力も奪われていく。そこで剣二は、この状況を変えるべく一旦場外に逃れてから体勢を整えようと思った。果たして次に相手の打突を受けた後、つばぜり合いから体当たりを受けた。
(よし! ここで場外や)
 と思った矢先、相手の引き胴が剣二の右脇に突っ込んできた。剣二は慌てて避けようとして、思わず右肘で打撃を受けてしまう。
「痛!」
 剣二は思わず声を上げ、思わず竹刀を落としそうになるが、何とか持ちこたえ、相手に向かって中段の構えをとる矢先、そこに相手の小手が来る。
「くそ!」
 剣二は相手の狙いを外し前に突っ込むようにしてから攻撃に転じ、自ら相手の前に出て面を狙おうとした。
 しかし相手は剣二の捨て身の作戦を読んでいた。小手を打つしぐさはあくまで剣二の面打ちを誘う呼び水であって、本当の狙いは、剣二が打ち込んで来る時にがら空きになる胴であった。突っ込んでくる剣二に対して相手は開き足で身体を右に回し、剣二の打突を避けるようにしてから竹刀を右に引き、その体勢から突っ込んでくる剣二の懐へもぐるようにして、剣二の右胴に向かって痛烈に竹刀を叩き込んだ。
「胴ーー!」
 胴への激しい打撃音が響き、剣二の身体が左側に吹っ飛ぶ。相手は剣二の左側に抜け、残心の体勢となった。
「胴あり!」
 審判全員が間髪入れずに赤旗を揚げる。非のつけどころの無い一本である。
 試合は振り出しに戻った。あまりの打撃の強烈さに剣二は一瞬息が出来ずその場にひざまづく。
(痛ぅ――しもうたわ、うち。攻めんとあかんのに、無茶苦茶強いやないか……結構きつう喰ろうてしもうたわ)
 剣二から弱気な言葉が漏れる。しかし剣二は先程の竜太との会話を思い出し、気がつく。
(うち、忘れてたわ。あんだけ竜太はんに言ってたのに……落ち着かなあかんのは、うちも同じや。強いからと言って、怖じ気付いたらあかんのや。勝負は下駄を履くまでわからへんのやって言ってたやないか)
 剣二は痛みをこらえつつ息と気持ちを整え、開始線に戻る。
「三本目、はじめ!」
 試合は三本目となった。この試合の残り時間を考えれば、この先どちらかが有効な技を取れば勝利が見えてくる。
「いやあぁぁ!」
 相手のより大きくなった気合いを受け、剣二は大きく深呼吸をし、ゆっくりと中段の構えを解き、竹刀を大きく振かぶった。上段の構えである。とたん、武道場にどよめきが響く。
「おい、あいつ先輩相手に上段に構えたぞ」
「身の程知らずか?」
「捨て身の戦法だ」
 周りの新入生は剣二の構えに驚きの言葉を口に出す。上段の構えは、よほどの腕の立つ者でない限り、扱い難い構えだからである。しかし、剣二は元々上段の構えを得意としていた。
 得意なだけあって剣二の上段の構えは、威風堂々でとても新入生とは思えない威圧感があった。その様子から相手は二本目のように簡単に間合いを詰めることは出来ず、剣二はその構えのまま微動たりともしなかった。武道場内は二人の気合いの声が周りを震わせ、気の攻防を繰り広げていた。もちろん簡単には動かない、動けない。このような試合展開になった場合、先に動いた方が不利なのが定石だからだ。
 ただ、相手は剣二の構えに対して苛立ちをあらわにしてきた。いくら定石であっても、上級生としてのプライドがそれを許さない。周りの者たちは固唾を飲んで二人を見守る。
 そして――その時が来た。
「いやあぁぁぁ!」
 剣二に向かって相手が、一歩踏み出し体当たりを喰らわすかのように剣二の懐を伺う。剣二は相手に入らせまいとそのまま竹刀を振り下ろし相手の竹刀を受ける。竹刀の激しい打撃音が響く。すかさず二人は離れ間合いを保つ。剣二は再び上段に構える。その構え方がより相手の気持ちを逆なでする。
「ああああ!」
 相手の声がより一層大きくなり、また剣二に打撃を入れる。今度は面狙いの振り下ろしである。もちろん剣二は受け止める。またも激しい音が響く。今度は相手は簡単に間を取らず剣二の竹刀をへし折るかのように渾身の力を込めて上から押しつぶす。剣二は相手を受けながら身体ごとゆっくりと後ろに下げられ、徐々に身体が棒立ちになって来る。そこに相手は一瞬体を引き、間際に引き胴を入れる。もちろん剣二は読んでいてそれを受け身体を開き、引いた相手に向かって面打ちを放つ。
「胴!」
「面ー!」
 相打ちの激しい打撃音が響くが、審判は両旗を身体の前で左右に振り有効打と認めない。打ち込みが浅い。
 三たび二人は離れ間合いを取るが、剣二は上段の構えから動かず、自分からは攻めていかない。明らかに相手の攻めを待っているかに見える。

「北条は何で攻めないんだ? 急に動きが鈍くなって……」
 傍らで戦局を見守るに竜太は、ここに来ての剣二の挙動が解せない。攻めを待つ上段の構えが、徐々に小さく見えてきている。思わず竜太の中にいやな予感がよぎる。
「――あいつ、怪我しているのか!?」

(もう力が入らへん……あと少しだけ、いや一回でいいんや、ほんま頼むで、うちの右腕)
 竜太の予感通り、二本目の相手引き胴を受けた際に右肘を負傷していて、左手一本で辛うじて凌いでいた。
(たぶん次で決めへんと、もうあかんやろ――でもうちはみんなに約束したんや。絶対に入るんやって。ここで気持ちで負けたらあかんのや!)
 痛みで脂汗が流れる。しかし剣二は、最後の力を振り絞るように大きく構え直し、相手の気に被さるように更に気合いを入れた。もう片時の猶予もない。相手の動き、息づかい、目線に対して集中力を研ぎすます。相手も勝負処と感じ、更なる気を応酬する。
 そして、互いにゆっくりと間合い図り、狙いを定める。呼吸が合う。緊張感も高まる。武道場内がこの二人に集中する。

 刹那の勝負。ここに極まる。

 二人とも同時に踏み出し勝負に出る。
「いやあー!」
「あああ!」
 竹刀が唸りをあげ、獲物を狙う。
「面ぇん!」
「面ぇぇーん!」
 武道場内に今日一番の気合と相撃ちの激しい打撃音が響きわたる。
 剣二の打撃は相手の面を捕らえ、相手の攻撃は剣二の面を捕らえる。お互い打撃の後はすぐさま左右に別れ、残心の姿勢となる。
 武道場内の視線は一斉に審判に向けられた。赤旗の相手の上級生か、それとも白旗の剣二か?

 審判たちは、旗を上げるのを一瞬躊躇ったかのように見えた。しかし二人の副審がほぼ同時に旗をあげた。
 一人が赤旗。そしてもう一人は白旗。そして――二人の副審から少しだけ遅れて主審が旗を上げた。

 主審の手には白旗が高々とあげられていた。

「白、面あり!」

「おおっ!」
「やった、北条! やったぞ!」
 武道場内は、どよめきと竜太の歓声があがった。

 剣二は勝った。勝負にそして己に……。
☆お気に召しましたら拍手をお願いします。

もどる |すすむ | もくじ
Copyright (c) 2009 Xing-Oolong All rights reserved.