●● 第14話 --- 勝負の刻(とき) ●●
「ほう、私を、ここで、叩きつぶす――面白い」
発田は竜太の言葉を一言ごと反芻しながら答える。抑揚のない無機質な口調が発田の不気味さをより醸し出す。
「なかなか、面白いことを言いますね。中村クン。先ほどの試合をしっかりご覧になったのですか? ならお解りでしょう。それとも中村クン、あなたも身の程知らずなのですか? それなら言葉では解らないでしょうから――身体で解らせてあげましょう」
発田は口元を緩やかに歪め笑う。青白い頬に似つかわしくない程の赤い唇から零れる邪な笑み。たかが口元を緩めただけに過ぎない笑みだったが、竜太を含め、武道場にいる者に対して戦慄を覚えさせるには十分であった。その刹那、武道場内から喧噪が消え、静寂が訪れた。しかし、竜太と発田の睨み合いは激しく続いていた。
「二人とも、何をやっているんだ! ここは神聖な武道場だ。すぐに試合の準備をしなさい!」
二人のやりとりに気がついた顧問の嶂南が二人の視線の間に割り込む。お互いの睨み合いはそこで途切れた。そこで発田は踵を返し、その場を離れ、
「まあ、いいでしょう。さあ見せてもらいましょうか、期待されているキミの実力を」
そう言いながら発田はゆっくりと身支度を始めた。一方竜太の方は、発田に啖呵を切ってからは相当な興奮状態になっていた。
「僕は……絶対に許せない。発田先輩が」
小声で譫言のようにつぶやく竜太。剣二はそんな竜太が心配でならない。
「竜太はん、はよ落ち着いて。ここで気を鎮めないと発田先輩の思うつぼやし」
「北条解ってる。解ってるけど僕は許せ無いんだ!」
剣二の心配をよそに、竜太の感情の昂ぶりはなかなか収まらない。
「そやけど、竜太はん。さっきの試合みたいに止心(ししん)になったら、もう後はあらへんで」
「ちょっと北条、もう解ってるから黙っててくれ!」
竜太は剣二に荒々しく返事をし、身支度を始める。しかし興奮のあまり指先が震え、なかなか胴紐が結べない。
「竜太はん。頼むから、ほら深呼吸して、ほんまお願いや。うちの言うこと聞いてや」
「…………」
剣二は賢明に竜太を鎮めようとするが、竜太はもはや自ら心の制御が効かなくなってきていた。
「竜太はん……」
「北条! もう黙っててくれ。これは僕と発田先輩との問題だ!」
竜太の激しい拒絶で剣二はもう何も言えなくなった。そして竜太から少し離れて天を仰いだ。
「ああ、なんでこんな土壇場でこんな事にならはるんや。折角あと一歩って所まで来てはるのに――ほんま発田先輩殺生や。うちは竜太はんと一緒にここに入りたいだけやのに!」
そう言って剣二は己の無力さを嘆き、頭を抱えた。もはや竜太を平常心に戻す術ないのかと思った時、剣二の後ろから一筋の風がすり抜けた。剣二は反射的に風の正体を確かめようと振り返った刹那、今度は剣二の前から何かが弾けたような大きな音が二回聞こえた。またも反射的に慌ててもう一度振り返る剣二の目には、思っても見なかった光景が飛び込んできた。
「竜太! いい加減にしなさい!」
そこには、桜ヶ丘高校の制服を身に纏ったセミロングの背の高い女子生徒が立っていた。
「かえではん……」
剣二はいきなり眼前に現れ、竜太を仁王立ちで睨み付ける女子生徒の名前をつぶやいた。
「竜太! 北条くんになんて事言うの! 一生懸命あなたの事心配してくれているのに。早く目を覚まさないともう一回ぶつわよ!」
当の竜太は仁王立ちのかえでから少し離れたところで床に転がっていた。かなり激しくぶたれたのか、竜太の左右の頬にはくっきりとかえでの手形がついていた。紅葉のかえでの如く。
「痛ってぇ……いきなり何するんだよ。かえで!」
よろよろと身を起こし、元いた所に戻ろうとする竜太に、かえでの怒号が続く。
「竜太! あなたはいったい何をしにここに来たの? さっきから見ていると
あなた、何にも考えて無いわよ。感情に身を任せて。それでいいの?」
「…………」
竜太は返す言葉が無い。そして小さくうなだれた。それを見てかえでは一呼吸おいて、
「どう、少しは落ち着いた? 竜太、もう解ってるよね」
うって変わって優しく話しかけられると竜太は静かに頷いた。
「それじゃあ北条くんに謝って、身支度して、しっかりがんばって来てね」
竜太は無言のまま剣二の方を向き、両手を顔の前で合わせた。剣二はそれに呼応して右手を軽く顔の前で横に振った。するとかえでの後ろから、
「あ……もういいかな? そこのお嬢さん」
事の一部始終を武道場にいたものは見ていたのだが、かえでのあまりの剣幕に誰一人として声をかけられなかった。そしてようやく事態が落ち着いた頃を見計らって嶂南が声をかけた。
「え? あ、はい……すみません」
「いや、別にいいんだけど――君、すごいよね」
嶂南がそう言うと武道場にいる大半のものが、同意の視線をかえでに向けた。
「あ、いえ、そんな事ないです……」
かえではその身を小さくして、剣二の横に座り込んだ。
「私……恥ずかしい……」
首筋まで真っ赤にしてかえでは顔を両手で覆う。剣二はそんなかえでに一言だけ声をかけた。
「お見事。かえではん」
武道場は試合前の緊張した雰囲気に戻った。ゆっくりとそしてかみしめるように身支度をする竜太に剣二はそっと声をかける。
「竜太はん、次はあんたの番やで。がんばってな」
「ああ、さっきはゴメン北条。ひどい事言って」
「気にせんといて。竜太はん、今は自分のこと考えなはれ」
剣二は竜太に右手拳を出す。竜太は軽く拳を合わせ前を向き、面と籠手を着けた。
「よし!」
竜太は立ち上がりゆっくりと試合場内に入る。白い道着に身を包み、既に身支度を終えた発田が待っていた。
「中村クン。残念だけど、いい友人をお持ちだ」
「どういう事ですか発田先輩」
「折角あのまま気が乱れてくれていれば、私も楽だったのに」
「それは本当に残念ですね。でも僕には頼れる友人がいました」
「ボクはそんな中村クンを立ち上がれないくらいに叩きのめしたいですね。甘ちゃんなキミを」
面の中からでも邪な笑みが零れる発田。竜太はあえて返答しない。また気が昂ぶらないように抑さえている。
「そうそう中村クン。約束は覚えていますよね」
「外での事ですか?」
「流石お解りですね。なら結構。約束は守って頂きますよ」
「先輩それは僕に勝ってから言ってください」
『どぉーん!』
試合を告げる太鼓の音が二人の言葉を遮った。そして二人の間に嶂南と他の審判二人が立つ。
「これより入部試験最終試合を行う。赤、発田高道。白、中村竜太」
竜太と発田は目線を逸らさずお互いの開始線に近づき、蹲踞(そんきょ)の姿勢になり互いの竹刀の切先を重ねる。武道場内には息をするのも憚れるの様な静寂に包まれた。その場にいるものは固唾を飲んでその時を待つ。
微かに揺れる竜太と発田の切先が停まった時、嶂南の声が武道場内に響き渡った。
「はじめ!」
開始の声と同時に二人は立ち上がり間合いを保つ。竜太は気合いの声を入れ、試合を見守る剣二は拍手で竜太を鼓舞する。一方の発田は先の試合と同じく無言のままで竜太との距離を保ちつつゆっくりと足捌きだけで竜太に圧力をかける。端から見ると竜太と発田の身長差そして腕の長さの差から圧倒的に発田有利に見える。
「いやぁ〜! あぁ〜!」
竜太は身長差を跳ね返すほどの声量で気合いを出すが、発田は声を発しない。竜太が切先を払い発田との間合いを詰めにかかると、発田は竜太の竹刀を払い返し竜太の動きを止めてからじりじりと竜太を追い詰める。ただ自分からは動こうとしない。
竜太自身も迂闊に前に出ると、懐の深い発田の思うつぼとなるのは先の試合で十分解っているつもりだが、試合の主導権はどうしても自分が握りたい。しかし、動けない……。
(これも発田先輩お得意の作戦なのか? 先輩は僕が出てくるのを待っているのか……)
竜太自身、突破口を開きたいのだが、今竹刀を重ねる発田の構えに隙というのは微塵もない。焦りは禁物だが、徐々に後ろに追い詰められているのが解る。竜太は思考を張り巡らす。
(何か――何かあるはずだ)
竜太は発田と呼吸を合わせようとするが、時折発田はいきなり間合いを詰めて来る。
(うわ!)
竜太は慌ててより後ろに下がり、辛くも間合いを保つ。
(僕の動きは完全に先輩に読まれている。でも動かないとダメだ)
竜太は意を決し、前に出ようと試みる。もちろん隙のない発田の懐に飛び込むには勇気と度胸がいる。しかしここで怖じ気ついていては何も出来ない。そして発田の動きが少し緩やかになったところで竜太は一気に前に出た。
「いやあぁー!」
中段の構えから発田の竹刀を払い、真っ直ぐ竹刀を発田の面に目がけて突くように飛び込んだ。発田はその竜太の竹刀を半歩体を引いて難なく十字に受け止める。
激しい竹刀同士のぶつかる音ときしむ音が武道場にこだまし、力と力とがぶつかり鍔競合いとなる。
「いやあっ! あああぁ!」
竜太は少しでも力を出すため、激しい気合いを出す。その声が武道場にこだまする。発田は相変わらず不気味なほど無言のまま。しかし、竜太の力をしっかりと受け止めたのを確認した発田は、じりじりと竜太に向かって進み始めた。当然ゆっくりと少しずつ竜太は下がり始める。竜太は渾身の力を出し、発田を押さえようとているが、状況は変わらず、竜太は後ろに下がり続けている。力の差は歴然であった。すると。
「きいぃああああ!」
いきなり発田の咆吼が武道場に響き渡り、同時に自らの竹刀を擦り上げ一気に前に出て竜太を竹刀ごと後ろに押しやった。いや竹刀ごと吹き飛ばしたと言う方が正しい。あまりの力に竜太はもんどり打ってバランスを崩し倒れ込むようにそのまま場外線の外に飛び出してしまった。
「まて! 場外!」
竜太は、発田が主将の伊東との試合で見せたのと同じようにまともに試合らしい試合を出来ないままに場外に出されてしまった。
(くそ−! 何て力なんだ)
竜太は開始線に戻る間に思考を巡らせる。勝つためにはどう攻めるのか。為す術がないのか?
「竜太はん! 力勝負や無い! 動くんや!」
剣二から竜太に声が飛ぶ。審判はそんな剣二を注意する。多少の応援は許されていても指示は出来ない。その禁を犯してまでも剣二は叫ぶ。
「竜太はん! 自分のカタチや! 思いだすんや!」
竜太はそんな剣二の言葉を反芻する。
(自分のカタチ――自分のカタチ……カタチ。そうか!)
竜太は発田の存在の大きさと試合の雰囲気に完全にのみ込まれ、自らの剣道を発揮できていなかった。
(そうだ、いちかばちかって言葉は嫌いだけど、自分の剣道をここで出さないと)
竜太は剣二の言葉を胸にもう一度開始線に歩み寄る。残り時間は二分。このまま何も出来なければ発田の優勢勝ちが決まる。もう後がない。自分の剣道を出せるようにするしかない。
「はじめ!」
「いやああっ!」
竜太は合図と同時に足を使い小刻みに発田との間合いを詰めたり離したりしながら攻め始めた。発田にゆっくりと攻めに転じる機会を与えないかのように、何度も前に出て発田の面や胴を狙い伺う。発田も素早く反応し、竜太の攻めを受け止め続ける。
すると竜太の右籠手の攻めを右に払おうとした時に発田の竹刀が珍しく空を切り、身体が少し右側に乱れ、左胴が竜太の正面になる。竜太はその隙を見逃さず左足から前に出て発田の左胴に渾身の一太刀を浴びせた。
「胴ぉおお!」
竜太の手に竹刀から響く打突感が獲物を仕留めたと思ったが、発田は身体をひねり、竜太の打突から逃れていた。打突感は腰の垂端をかすったものであった。当然審判の手は動かない。ただ、竜太発田の身体に少しでも竹刀が当てた事で、発田の動きに変化が出てきた。
竜太は体勢を戻し、再び足を使って間合いを取る。発田も竜太の動きを封じるため間合いを外さない。すると発田は、
「きいぁああああ! いやああああああ!」
またも武道場が軋む程の声量と声質の気合いを出した。そしてそれがスイッチとなった。
発田は竜太との間合いをいきなり詰め、竜太目がけて上段から振り下ろし、叩きつけてきた。竜太は発田のあまりの早さについて行けず、発田の打突を面の前で竹刀で受けるのが精一杯だった。そこへまた発田の打突が竜太に襲いかかり、竜太の竹刀は床に叩きつけられ、竜太の身体は前のめりになる。そこに三度発田の打突が竜太の頭上を襲う。
「きいいい! めーーんっ!」
激しい打突音と、発田の残心の構え。そして動かない竜太。タイミング、スピード、発田の声量とそれよりも大きな打突音。周りにいたものは誰しもが、発田の面が決まったかと思った。しかし――審判は誰一人も旗を上げない。
つまり打突が決まっていない。竜太は辛うじて発田の打突を自らの竹刀を持って外していた。面には当たっていなかった。しかし、
(痛い!)
竜太は思わず左肩を押さえその場にうずくまった。
「キミ、大丈夫かね」
主審が竜太に声をかける。しかし竜太は答えられない。必死で痛さをこらえているが、なかなか痛みはひかない。面中の額から脂汗が流れる。発田はゆっくりと自らの開始線に戻り竜太を待つ。
「キミ、続けられるか?」
主審がもう一度竜太に声をかける。怪我で試合が続けられなければそこで試合が終わる。
「大丈夫です!」
竜太はあえて大きな声で答えた。このまま審判から試合続行不可能されると、これまで積み上げてきた努力が水泡に消える。竜太は痛みをこらえ開始線に立つ。
「はじめ!」
三度竜太と発田は竹刀を交える。竜太はこれまで以上の気合いを入れる。痛みを吹き飛ばすかのごとく。すると、
「くくくく……」
竜太の耳に微かに笑い声が聞こえてきた。もちろん試合中に笑うことは許されていない。審判には笑い声は聞こえていないのか反応していない。
「くくく……」
発田の面の奥からまた笑い声が聞こえてきた。竜太は身構える。
「健気ですね中村クン。キミの太刀筋は本当にお父さんそっくりだ……」
「え?」
間合いを保ちながらも竜太は耳に入った言葉を聞き返した。
「だから、キミの太刀筋はお父さんそっくりですって。本当に生き写しみたいにワンパターン」
「なんだと!」
思わず竜太は声を荒げる。
「まだお解りないのですね。あなたの動きは全てお見通し」
竜太は発田の言葉を聞き血が逆流していく感じがした。怒りのあまり発田に対して言葉が出ない。
「くくく、中村クン聞きしに勝る樹神(こだま)の血を受け継ぐ者と思ってましたけど、案外たいしたことなかったですね」
竜太の身体が大きく震える。またも耳にした言葉『樹神(こだま)』そして父の話。
「ああああ! バカにするな!」
竜太は気合いとともに声を張り上げた。これまで出していた気合いとは大きく異なり、武道場全体を震わす。
「ほほぉ。ちゃんと生きた気が出せるじゃないですか」
発田はまたも面の奥から笑みを漏らす。
「そうでないと、あなたを叩き潰す甲斐がないですからね。では私もそろそろ本気を出しましょうかね」
そう言って発田は武道場にいる者が聞いたことがない甲高い気合いを出す。
「きいぃいいい! はあああああ!」
その余りに甲高くつんざくような声と声量から周りの者は一瞬耳からの音が消え、眩暈と似た感覚となった。そして発田が視界から消えた。
「あああ! こおお!」
発田の声が聞こえた時は、既に発田の竹刀は竜太の小手めがけて振り下ろされていた後だった。竜太は眼前に現れた発田の竹刀を下がって受けようとするが、合わせるだけが精一杯で激しい音とともに竹刀が叩き落とされる。竹刀が竜太の手から離れてしまうと、竜太の負けが決まる。竜太は渾身の力を持って発田の一太刀を受ける。
「めーーーん!」
発田の竹刀は先を凌ぐ早さで次の攻撃に移り、打撃を浴びて前のめりになった竜太の頭上を襲う。あまりの早さに竜太は頭を降るしかすべが無く、辛うじて振り面の打撃を外す。しかし発田の竹刀は先程痛めつけた竜太の面垂れと寸分違わぬ箇所にめり込む。
「ううっ!」
竜太から思わずうめき声が漏れ、左膝が折れ身体が斜めに揺らぐ。そこへまたも発田の打突が竜太の頭上を襲う。今度こそ絶体絶命かと思われたが、またも発田の打撃は竜太の面だれだった。竜太はバランスを崩し倒れそうになるが、間一髪で体勢を立て直す。もはや本能で立っているに過ぎないかと思われるほどである。
発田の攻撃が止まると、竜太は発田との距離をとる。
武道場内の誰が見ても肩で息をし、立っているのが精一杯の竜太と、息一つ乱れていない発田とでは決着がついていると思ってもおかしくない状況だった。そして……。
「では、中村クン。約束を守って頂きましょう!」
そう言って発田は竜太との間合い詰め、竜太の竹刀を自らの竹刀で擦りあげた。
「きいぃいいいい!」
竜太の両手は発田の力で脇が上がり、胴ががら空きになる。そこへ発田の竹刀がうなりを上げ襲いかかる。竜太は半歩退いて逃れようとするが、それよりも早く竜太の胴の上に発田の竹刀が来る。もちろん胴の上では打撃不十分で審判の手は動かない。
「いやぁ! こてえええ!」
竜太は打撃を受けながらも最後の力を振り絞って逆転を信じ発田の小手に打撃を入れる。しかし発田はそれを難なくかわし、竜太の小手に竹刀を合わせるが発田の打撃はまたも不十分。だがその打撃を受けた竜太の竹刀が床へと叩き落とされたところで竜太の頭上は発田の目の前に晒し出された。
発田の狙いは最初からここにあった。
「きいいぃい! めーーーん!」
武道場内に強烈な打撃音が反響した。おおよそ竹刀と面がぶつかり合う音ではなく、雷鳴が目の前に落ちたか思うほどの衝撃と音が武道場内に響き、同時に武道場にいたこの試合を見守る者全員が息をのむ声が聞こえた。
そして打撃を終えた発田の残心を見届けた審判全員の手が上がる。
「赤、面あり!」
その宣言が武道場内に聞こえたと同時に竜太は両膝が崩れ折れ曲がり、木の葉が地面に舞い降りるがごとく前のめりに静かに倒れた。
武道場内の音が消えた……。目の前で繰り広げられていた激しい戦いが嘘のようなほどの静寂。
「嘘……」
勝負の一部始終を見ていたかえでが、つぶやきながら立ち上がった。
「竜太?」
かえでは目の前で起こったことが理解できない。しかし竜太は自分の目の前で倒れている。
「何故?」
竜太とともに憧れの先輩のいるここ桜ヶ丘高校に入ろうと努力してきた――そして夢が叶いかけていた――無事に一緒に入学できた。そして竜太の剣道部入部まであと一息のところまで来ていた。
「どうして」
それなのにまるで手に取った水のように指の隙間からこぼれ落ちていく二人の夢。かえでの目の前には夢半ばにして倒れる竜太の姿。
「竜太……」
かえでは何度も竜太の名前をつぶやく。嘘であって欲しい。悪い夢なら覚めて欲しい。自分たちの努力も苦労も一瞬にして消え去ろうとしているこの現実に対して。
「竜太、どうしたの。あと一息だったじゃないの。お願い立ち上がって……」
かえでは倒れている竜太に向かって語りかけ、そして叫んだ。
「竜太!! 私とあの桜乃学坂で約束したじゃない!! 日本一の剣士になるんでしょ! 竜太!!」
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