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● 第15話 --- 強さの尺度 ●

 闇。漆黒の帳の中で竜太は目を覚ました。
「ここは?」
 あたりを見回してみるが、自分自身ですらまともに見ることが出来ない。
「俺はいったい……そうだ、発田先輩と試合中だった……」
 闇に目が慣れていき、竜太は自分が稽古着姿であることがわかる。しかし、ここが何処であるかわからない。
「たしか、思いっきり先輩から面を打たれたはずなんだけど?」
闇と不安が竜太を包み込む。竜太は必要以上にあたりを見回すが、一寸先は闇のごとく、何も見えない。
「どうしよう。俺はどうしてしまったんだろう」
「また随分と叩きのめされたんだな。竜太」
 竜太の背後から気配を感じることなくいきなり声が聞こえた。竜太は反射的に声の方向に振り向く。
「誰?」
「ん? なんだ竜太、私だよ。あ、見えないのか?」
「! その声は? もしかして!」
 竜太は悲鳴にも似た叫び声を上げた。
「いきなり大きな声を出すな。うるさいだろ」
 すると、声がする場所がぼんやりあかるくなり、稽古着姿の男性が現れた。
「やっぱり! おや……いや、お父さん!」
 竜太は声を張り上げ、父のいる元に駆けだした。しかし、竜太の足は床に固定されたかのように動かない。
「あれ? なんでだよ! どうして動けないんだよ!」
 もどかしさがつのり、苛立ちが声になる。そんな竜太を見て、竜太の父はゆっくりと竜太に近づいてきた。
「竜太、ひさしぶりだな。お? おまえ大きくなったか。いや、そんなに変わらないか………」
 竜太の父は竜太の真横に立ち、我が子の背丈を確かめるように見下ろした。
「ちょっ、お父さん! 僕は大きくなったよ! 高校に行ってるんだよ。それもお父さんが行った高校と同じだよ!」
「ほう、桜ヶ丘か……」
 そう言って竜太の父は目を細めた。竜太はここぞとばかりに話を続ける。
「そうだよ! かえでに勉強を教えてもらって――もう大変だったけど、入れたんだ」
「そうか……おまえ、がんばったんだな。で、剣道部には入ったのか?」
「それが……」
 竜太は思わずうつむいた。
「どうした? おまえ稽古着を着ているじゃないか」
「それが――まだなんだ。お父さん」
「どうして?」
 矢継ぎ早に問いかける父に対して竜太は答えに窮した。竜太の父の穏和な顔が厳しくなっているからだ。
「それが――まだ入部できていないんだ。実は入部試験を受けているんだ」
「入部試験? そりゃまた大層なことをするもんだな。顧問はひげダルマか?」
 竜太は黙ってうなずいた。
「そうか、それで試験をするぐらい、入りたい子が多いのか」
「ちがうよ。顧問の嶂南(やまなみ)先生が少数精鋭で全国制覇を目指すと言って、新入生は5人しか入部させないって。だから新入生同士で勝負して、それに勝ったら先輩と勝負なんだ」
「少数精鋭ね。そうか――で、おまえはその少数精鋭とやらの一員になれそうなのか?」
「それが…………」
 父の問いかけに竜太は首をうなだれた。
「まだなんだ……」
「じゃあ、おまえ負けたのか?」
 竜太は顔を上げて反論した。
「まだ負けていないよ! でも……」
「でも?」
 竜太はまたうつむいた。
「負けそうなんだ」
 竜太の声はだんだん小さくなっていき、父から顔を背けた。竜太の父は竜太に近づき、両手で竜太の頬を持ち、うなだれている竜太の顔を自分の顔に相対させた。
「まだ、負けていないんだろ」
「…………うん」
「じゃあ、まだチャンスはあるじゃないか」
 頬の両側を父の手で挟まれている竜太は、父の視線から逃れられなくなり、観念した表情になった。
「でも、でも相手の先輩、発田(はった)先輩って言うんだけど、無茶苦茶強いんだよ。いくら攻めても歯が立たないんだよ」
「ほう、その人は強いのか。それで?」
父は、竜太に優しくも厳しい眼差しを向け続けながら話す。
「そうなんだ、発田先輩は玉竜旗で全国制覇した人で、竹刀さばきが、めっちゃ早くて、打ち込みも厳しいところを攻めてくるんだ。あんな細い身体しているのに、打撃がもの凄く重いんだ、おまけに防御もこっちの打ち込むところが最初からわかっているのかすべて完璧に守るんだよ」
「……それで」
「それに――気合いも聞いたことがないほど凄くて、それだけで震え上がるほどなんだよ」
「そうか。それで」
「え、それでって……」
 父の問いかけに困惑する竜太。
「だから、竜太、それでその発田と言う人は強いんだろ。その割には私にはその強さの理由がわからない」
「お父さん、今理由をいっぱい言ったじゃないか」
「そうか?」
「だから、全国大会を制した人で、体さばきにスピードがあって、打撃が早くしかも重くて、防御も完璧で、こっちの攻撃のパターンを読むのも早くて、気合いも前に出てくるんだって。だから……だから、僕は負けそうなんだって。さっきも思いっきり面を打ち込まれたし」
 身振り手振りで今対戦している発田のことを一生懸命伝えようとしている竜太。竜太の父は竜太からひとしきり発田のことを聞いてから一呼吸置き、竜太にゆっくりと話し始めた。
「竜太。おまえが相対している発田という人のことはだいたい解った。でも竜太、おまえが一生懸命に説明してくれたことは、真の剣道の強さではない。もう一度言うぞ。強さの尺度って何だ? 竜太」
「え?」
 竜太は父の言っている意味が解らない。
「体さばきが早い、竹刀の打突が重い、相手の攻めを読み切る完璧な防御とかは、目に見えてくるものであって、本当の強さとは直接関係ない」
「………………」
「竜太、私はいつもおまえに言ってきたはずだ。目に見えることだけで物事を判断してはいけないと――忘れたのか?」
「あ!」
 竜太は大きな声を上げた。そんな竜太の声を聞き、竜太の父はため息を一つついて話を続けた。
「竜太。おまえは目に見える事柄に惑わされていて、発田と言う先輩は『剣道が強い』と言う観念を植え付けられている。その先輩がおまえに相対するまでに様々なことをしてきたんじゃないのか? わざとおまえに見えるように振る舞ってたんじゃないか?」
「それは……」
 竜太には思い当たることがあった。発田に出会ってから試合に相対するまでの間、剣道場に現れた時の異様さ、圧倒的な実力の差を見せつけた先輩伊東との試合。竜太の鼻先に突きつけた竹刀のスピード、道場の外での木の葉切り、試合での過剰な相手に対する痛めつけ、武道場を揺るがす程の不気味な気合い、そして……竜太の父のこと。
「思い当たることばかりだ」
 竜太のつぶやきに竜太の父は『それ見ろ!』と言わんばかりの表情をした。そして、
「竜太。もう一度樹神(こだま)の教えを思い出してごらん」
「え?」
「心清きものは?」
「清い剣が宿る」
 竜太の答えを聞き竜太の父は大きくうなずいた。
「そうだ、基本は解っているじゃないか。清い心を持ち、己の力を信じれば、道は開けるはずだろう。目に見えるものだけがすべてじゃない」
父の言葉を聞き、竜太は自分の頬にある父の腕を持ち、ゆっくり下に降ろした。
「お父さん。僕、忘れていたよ。大切なことを。発田先輩からお父さんのことを聞いたんで、自分を見失ってしまったみたいだ」
 竜太の父は竜太の両肩を両腕で軽く叩き、
「よし、解れば良いんだ。忘れるなよ樹神の教えを」
「はい!」
 竜太の力強い返事を聞いた竜太の父は、優しく微笑み、ゆっくりと竜太に背を向けた。
「お父さん?」
「竜太。私ができることはここまでだ。そろそろ戻れ」
「え?」
「だから戻れ。真の強さを会得してこい。それに――おまえには待っている人がいる」
 竜太の父がそう話したとたん、父の背後から叫び声が聞こえてきた。
「竜太! 竜太! 立って!」
 竜太の父は、叫ぶ声の主が誰か解ったのか、また微笑んだ。
「西園寺かえでちゃんか。相変わらず元気な子だ。竜太。呼ばれているぞ」
 そう言って竜太の父は竜太から離れ、かえでの声に向かってゆっくり歩き始めた。
「お父さん! ちょっと待ってよ! まだ色々と聞きたいよ!」
 竜太の父はゆっくりと竜太の許から離れていく。自分より高い背と、広い背中。そして何よりも大きく見える稽古着姿。それがどんどん小さくなっていく。
「待って! お父さん!」
 竜太の呼びかけに竜太の父は立ち止まった。しかし竜太には振り返らず、
「竜太、頑張れよ。おまえならできる。心に想うことは必ず成る! そう信じるんだ」
「お父さん!」
 竜太の父の姿は漆黒の闇の中に混じり込み、輪郭が解らなくなった。

「お父さん!」

 竜太が渾身の力を振り絞って叫び声を上げた。すると、父の見えなくなった場所から一筋の光が差し、眼前が急に明るくなった。
「うわ! 眩しい!」
 竜太は思わず声を上げた。
「竜太! 気がついた!」
 竜太の耳につんざいた悲鳴にも似た女子の叫びが聞こえた。
「え? ここは?」
「竜太! 気がついたのね」
 声の主はかえでと解った。竜太は自分の居場所がぼんやりと解ってきた。
「中村くん。大丈夫か?」
 竜太の頭の後ろから野太い声が聞こえてきた。竜太はその声で自分がうつぶせに横たわっていることに気がついた。
「……武道場――発田先輩との試合中だった……」
 竜太は両腕、両足にゆっくりと力を込めた。動く。そして身体にもう少し力を注ぎ。身体を起こしはじめ、立ち上がる。しかし、頭がとても重く、足がぐらつく。それを見た顧問の嶂南は竜太に向かって、
「中村くん。軽い脳しんとうだ。残念だがこれ以上試合は無理だ」
「先生、大丈夫です」
 竜太は反射的に答え、足元にある自分の竹刀を拾い上げた。だが、足元は相変わらずふらつく。
「そんなにふらついていたのではだめだ、すでにきみは発田くんに一本を取られている。時間もあと少しだ。これ以上――」
「先生! やらせてください!」
 竜太は手をかけようとした嶂南の手から逃れ、開始線に向かう。
「しかしそんな身体では――」
「先生。本人がそう言っているのですから、ぜひやりましょうよ」
 嶂南の背後から声がした。
「発田。もう勝負ありだ。おまえはそのままで居ろ」
 嶂南は発田に向かって声を荒げた。今日一日で発田の手にかかり脳しんとうを起こした生徒は二人になった。顧問としてこれ以上怪我人を出すわけにはいかない。そこに竜太の声が聞こえてきた。先ほどとはうって変わりしっかりした口調で。
「先生! お願いします。今ここで試合を止めさせられると悔いが残ります。お願いします!」
「しかし……」
 武道場内がにわかにざわつく。試合ができる、できない。勝ちだ、負けだ……。
嶂南は竜太と発田を何度も見る。明らかに迷っている。
「先生! お願いします」
 竜太が嶂南に向かって深々と頭を下げた。その動作の機敏さが嶂南に決心を促した。
 嶂南はゆっくりと試合場の中央に歩み始めた。とたん、武道場が水を打ったかのように静まる。そして、開始線の前に立ちゆっくりと計時係を手招きして残り時間を確認し、声を発した。
「両者! 開始線に戻って」
 武道場は嶂南の答えを待つ。

「試合を再開する。残り時間精一杯戦うように!」

 武道場が大きくどよめく。竜太は嶂南に向かってもう一度深々と頭を下げた。そんな竜太の姿を見つめていた発田は小さく笑いつぶやいた。
「ククク、楽しいですね。わざわざもう一度やられたいのですね。いいでしょう。いいでしょう。そんなキミの期待に応えましょう。今度こそ一発でキミを逝かせてあげますから。ククク」
 竜太は、発田の声には反応しなかった。挑発には乗らないと意思表示を表すかのように開始線で蹲踞の姿勢を先に取った。しかし、竜太の身体はまだおぼつかず、ふらついている。
「目に見えることがすべてじゃない。清い心を信じるんだ……」
 竜太は父からの言葉を反復する。己に言い聞かせるように何度も何度も。そんな竜太の揺れる竹刀に向かって発田は静かに自らの竹刀の切先を重ねてきた。
「中村クン。一発で楽にしてあげます」
 発田の勝ち誇ったつぶやきが竜太の耳に入る。しかし、竜太は動じない。
「残り時間五〇秒」
 二人の間に立つ嶂南は残り時間を告げた。武道場は再び静寂が訪れた。今、武道場にいるものすべてが暗黙で感じていること。この二人の戦いは今後語り継がれていくであろうと言うことを。それを見届けるために今ここで固唾を飲んでいることを。
嶂南は両腕に持った旗を体に寄せ、大きく声を発した。
「はじめ!」
☆お気に召しましたら拍手をお願いします。

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