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● つるぎの舞 --- 其の二 ●

 あくる日の放課後。かえでは居残り学習となった竜太の勉強を手伝っていたので、少し遅くなぎなた部の武道場にやってきた。
 かえでは入り口に立つと、いつもと違う雰囲気に気がついた。普段はこの時間ならまだ練習はおろか掃除もしていないはずなのに、今日に限っては、先輩が同級生たちといっしょに、慌しく武道場を掃除したり、練習の準備をしていた。
 あまりの違和感を感じつつ、かえでは武道場に入り先輩に挨拶した後で質問をしてみた。
「先輩こんにちは。掃除なら私たちやりますのに、今日はいったいどうなされたのですか?」
 かえでの挨拶を聞いて、なぎなた部の主将が間髪いれずに返事をくれた。
「あっ、西園寺さん。よかった。早くお願い! とにかく急な事で説明している暇はないの、後で理由は話すから、とにかく今は私の指示に従って掃除してくれる?」
「あっ、はい!」
 かえでは、主将の剣幕に圧倒され、制服姿のまま掃除を始めた。しばらくすると、武道場は一通り掃除が終わり、練習が始められるようになったところで、主将は矢継ぎ早に皆に指示を出した。
「みんな! 今日はつるぎ先輩がお見えになります。早いけど練習を始めるからすぐ準備体操。いいわね!」
 制服姿だったかえでは、稽古着に着替えるために急いで更衣室に入った。着替えている間に武道場では準備体操が終わり、なぎなたの素振りを始める合図が聞こえる。
(先輩がそこまで慌てるほどのつるぎという先輩は、どんな方なのだろうか?)
 かえではそう思いながら武道場に入り、準備体操を始める。すると主将がかえでの横にやってきた。
「西園寺さん、準備体操をしながら聞いて。実はさっき連絡があって、今日突然OGの『つるぎ先輩』が稽古つけにくるとおっしゃられたのよ」
「つるぎ先輩――ですか?」
「そうか、西園寺さんはつるぎ先輩を知らないはずよね」
「何か鋭くて強そうなお名前ですね」
 かえでは、今の主将から初めて聞く先輩を名前からイメージを膨らましている。
「つるぎ先輩は、私たちなぎなた部の大先輩で元主将だった方なの。今は大学の四年生で、見た目は少し小柄で優しくて面倒見の良いお姉さんという感じだけど、ひとたびなぎなたを握ると、スイッチが入ってもの凄く厳しい方になるの」
「スイッチが入るって、どれくらい凄いんですか?」
 かえでは、少々興奮気味の主将から聞くつるぎ先輩がものすごく気になる。
「どれくらいって……まあ、一言で言うと、自分にも他人にも凄く厳しい方かな。現役のときは、全国大会のベスト四まで勝ち進むほどの腕前を支えたのは、常人では考えられないほどの、すさまじい練習量を自らに課して、実行したと顧問の先生から聞いた事があるわ。それだけなぎなたに対する強い情熱をお持ちの方なの。だから私たちは、練習態度でダメだしされて、何回夜遅くまで居残り練習させられた事か……。まあ今にして見れば、それだけ私たちが不甲斐ないからだけどね」
「そんな方なのですか……」
 かえでは、主将の話を聞いて、その先輩が般若の面みたいに思えてきた。
「まあ西園寺さんも今日の先輩を見ればいいわ。私が言いたかった事が解ると思うから、だから今日は練習しっかりね!」
「はい! がんばります」
 何となく解ったような解らないような感じになるかえで。すると、武道場の奥から人が入ってくる物音が聞こえ、入り口に一人の女性が現れた。
「ほら、西園寺さん。つるぎ先輩がお見えになったわ。はい! 全員一旦練習止め! 先輩に挨拶!」

 主将の一声で、武道場の全員が練習の手を止め、入ってきた先輩に対して一斉に大声で挨拶を始める。
「先輩! こんにちは!」
 皆からの挨拶を受けたつるぎ先輩と呼ばれる女性は、
「こんにちは」
 と皆に笑顔で答えながら入り口で一礼して武道場に入場した。
 武道場に入ってきたその人は、きちんと洗い晒された白の稽古着と濃紺の袴に、キチンと手入れされた制定形用のなぎなたが、小柄な身体を十分大きく見せていた。
 そして歩く度にしなやかに揺れる肩口まで伸びた真直な黒髪と黒い瞳からはなたれる凛としたまなざしが、場の雰囲気を一瞬で引き締めるほどの存在感を醸し出していた。
 かえでは、先輩のつるぎが武道場の上座へと歩く姿を見て、
(あれ? この雰囲気をどこかで感じた事がある……)
 と思った。何故か理由は解らないのだが、とても初対面とは思えない気持ちになった。
 武道場の上座につるぎが座ると、現役生全員が下座に正座し、主将の号令で一斉に頭を下げた。
「先輩に、礼!」
 武道場は一瞬で、息をするのも憚られるくらいぴんと空気が張り詰め、皆の稽古着の着擦れの音だけが厳かに聞こえる。しばらくして、全員が頭を上げ、挨拶を終えたところで、主将がくるりと現役生の方に向きを変え、つるぎの紹介を始めた。
「二年生と三年生は、もうつるぎ先輩の事はご存知と思いますが、一年生は初めてだと思いますのでここでご紹介します。我が桜ヶ丘高校なぎなた部第十八代主将で、我が部唯一の全国大会ベスト四という堂々たる成績を収められたつるぎ先輩こと――」
(う〜ん――あの先輩の雰囲気、どこかで感じた事があるのよね。凛とした鋭いまなざし、綺麗な歩き方、あふれ出るオーラ、しなやかな黒髪……)
 かえでは事もあろうに、主将の話を上の空で、つるぎの雰囲気と自分の記憶の中で感じた事とが一致するわけを一生懸命考え込んでいた。
「西園寺さん――」
(もう少しで思い出せそう……強い雰囲気の中に、何か優しくて、いつも見守ってくれていて、とても心地良い感じがして……)
「西園寺さん! どうしたの! 返事は!」
「へっ? はい!」
 かえでは主将の怒気を含んだ声で、現実に引き戻された。
「どうしたの、西園寺さん。つるぎ先輩が質問されているのだから早く答えなさい!」
「……すみません。少し――別の事を考えてしまい、先輩のご質問を聞きそびれてしまいました」
「西園寺さん!」
 主将は今にも火を噴きそうな剣幕でかえでを叱責する。かえでは冷や汗を流しながら身を小さくする。
「まあまあ主将、そんなに怒らなくてもいいから。昨日の試合で疲れているのかしら? 西園寺さん? だったかしら」
 つるぎがかえでに対して優しく言ったので、主将はそれ以上かえでを怒る事ができなくなった。
「先輩、主将。本当に申し訳ございません。しっかりと先輩のおっしゃる事を聞かなければいけなかったのに、気が緩んでおりました。すみません、宜しければ、もう一度質問をお聞かせ頂けませんか? お願いします」
 かえでは、つるぎからの質問を自分の不注意で聞きそびれた事を正直に謝った。その潔い行いが、つるぎを気に入らせた。
「解ったわ、今回は特別よ。この一回しか言わないからね――西園寺さん。新人戦で良くがんばったわね。決勝戦では残念な結果みたいだけど、ところで、自分の敗因は解っている?」
 つるぎの隣で話を聞いていた主将は、事のほか驚いた。普段のつるぎなら、今しがたのかえでの態度は、間違いなく猛烈に叱責され、居残り練習確定だったからである。
 ところが今日のつるぎは何か違う。まだスイッチが入っていないのか、とても優しいのである。
「はい。敗因は、私の力不足です。同じ相手に何度も敗れるのは、自分の実力が相手の足元にもまだ及んでいないと言う事と、技術的、精神的にも勉強不足と自分の弱さが出たからだとと思います」
 冷静に自分の敗因を語るかえで。つるぎはその言葉をゆっくりとうなずきながら聞いていた。そして、かえでの話が終ると主将に対して、
「主将。私は今日この子の稽古を見てもいいかしら?」
 いわゆる一対一の稽古である。それが何を意味するかを主将は十分に解っていた。
「はい、先輩がそうおっしゃるなら結構ですが――でも宜しいのですか?」
 主将の返事の中に、かえでがつるぎの稽古を受けるのはまだ早いのではないかと厳しすぎるのではないか、という意味を『宜しいのですか?』という言葉に込めている。しかし、つるぎは意に介さずに、
「大丈夫よ、あなたが心配するほどこの子はやわじゃないと思うの。見れば解るわ。西園寺さん、いいかしら?」
「はい! よろしくお願いします!」
 かえでは、元気良く答える。つるぎは、その返事を聞き、少し微笑みながら、主将に一言つけ加える。
「主将、私は昨日あなたから新人戦の試合内容を聞いて、そして今、この子――西園寺さんと実際に会ってみて解ったの。この子は磨けば光る珠だと思ったわ。いずれ私を追い越すのも夢じゃないわね」
 かえでに対して最大級の褒め言葉に主将はまた驚いた。つるぎが現役部員をここまで褒める事は、滅多にないからである。
「褒め殺し?」
 と思わず二、三年生がつぶやくのも無理はなかった。
 ところが、つるぎはその言葉を聞いたとたん、温和だった面が急に厳しくなった。
「今つまらない事を口走った者。言って良い事と悪い事とがあるのは解っているはずよね。そんな言葉が神聖な武道場で出るのは、あなた達、少し弛んでないかしら? はい! 全員ウォーミングアップがわりに八方振り五十本! 主将、しっかり数えてね」
 八方振りとは、なぎなたの正しい刃筋や手の通い等の操作を覚え、確認するために、基本の振り方の上下振り・斜め振り・横振り・斜め振り下から・振り返しを連続して振る素振りの事である。大体、数本振るだけで息が上がってしまうので、五十本振るのはかなり辛い。
 しかし、現役生のそばで、つるぎも一緒になって鋭く八方振りをしているから、現役生は辛くても手を休めるわけにはいかない。ようやく五十本目を終えたところで、一度小休止となった。
 現役生は、やれやれとした表情で、上がった息を整え、汗を拭きつつ稽古着の乱れを直している。しかし、つるぎだけは少し頬に赤みが差した程度で悠然と正座していた。かえでたち新入生はこれだけで、つるぎがどれほどの腕前かを思い知る事となった。
 短い休憩が終わり、いよいよ稽古が始まる。かえでは、実技練習用のなぎなたを持ち、緊張した面持ちでつるぎの元に行った。
「先輩! 今日はよろしくお願いします!」


 其の三に続く
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