スペシャリスト秋月

まえがき その2 もくじ


その1


「秋月さん、社長がお呼びです。すぐいらしてください」
 ここはとある商社の営業部。普段めったに来る事がない社長秘書が営業部に訪れ、また一営業部員を名指しで呼び出したので部内は一時騒然となった。
「おい、秋月、昇進か? それとも――もしかして……左かな?」
「社長秘書と何かあったのか?」
「かわいそうに、もう帰ってこられるかどうか……」
「いい話だったら教えろよな」
 同僚や先輩たちからの羨望、ねたみにもとれる言葉や眼差しが秋月には痛く感じられた。
 名指しで呼び出された一営業部員は『秋月』という。営業部の中では中の上。つまり係長にあたる職務に就いている。
「秋月さん。早くいらしてください。私は貴方をすぐに連れてきて欲しいと仰せつかっています」
「わかりました」秋月はとりあえず机の上の手帳を持ち、席を立とうとした。
「ねぇ、秋月――。いきなり転勤じゃないよね?」
 すこし心配そうに同僚らしき女性が話しかけた。
「大丈夫だと思う。何かのクレームのことかな? 心配?」
「あっ、いや、別にあなたの事を心配しているからじゃないのよ! 今このチームは一人でも減ってしまったら私たち目標達成が難しくなるじゃない!!」
 すこし慌てている女性は『桜子』という。秋月の同期入社で少々気の強そうな女性である。
 いささか秋月が気になるらしく、かなりおせっかいだ。しかし本人はそんなそぶりを他の同僚に悟られたくないらしく、いつも怒っているかのように秋月に話しかける。かなり素直じゃない。
「まあ、すぐ戻ると思う」と言い秋月は部屋を出た。部屋を出たとたん秋月はそれまでの温和な顔つきから一転して厳しい顔になる。
「社長に言っといてくれ。あまり派手に呼び出さないでくれって」
「仕方ありませんわ、火急の用件だそうで」
「火急の用件??」
「詳細は社長室でお伝えします」
 二人は社長室へ急いだ。
 社長室は秋月のいるビルの最上階にある。エレベーターを乗り継いでようやくこの部屋にたどり着いた。
「社長。秋月です」
「入りたまえ」
 社長室に入るとすすめられて手前の応接ソファーに腰をかけた。
「すまない、秋月係長、いや、"スペシャリスト"の秋月くん。いきなり呼び出してすまなかった。少々急いでいたのでな」
「汁粉社長、わかっております。呼び出していただいて誠に光栄なのですけど、もうすこし地味な呼びだし方を考えていただけませんか?」
「いや、わかっておるよ、いつも考えておるよ」
「でもこの間は乳製品販売員に変装した秘書で呼びに来たり、書留配達員を装った常務が呼びに来たり――。かなり苦労しました、部署でごまかすのを!」
「すまない、わかっているのだよ、すべては君に迷惑をかけないようにしているつもりなのだよ」
「だったら、普通に内線を下さればいいでしょうに!」
 秋月は汁粉社長に怒気を含みつつ文句を言った。この会社で社長にこのような口が利けるのは"スペシャリスト"と呼ばれている者たちだけらしい。秋月もその一人だ。
「まあそんなに怒らないでくれ、次はそうするつもりだ、しかし、今回はそうも言っていられないことが起きたのだよ」
 汁粉社長は面を曇らせた。
「と、言いますと」
「実は、烏龍くんが敵につかまった」
「!!」
 秋月は一瞬言葉を失った。
「あの烏龍さんがですか?」
「彼も君と同じく当社の"スペシャリスト"としてがんばってきたのだが、今回のミッションは敵に悟られていたみたいだ」
「しかし、百戦錬磨の烏龍さんがしくじるとは……」
「敵は彼の身柄と引き換えに当社のアレを要求している」
「えっ? アレですか? それは――当社にとっては……」
 秋月はめずらしくうろたえた。実のところ秋月は会社が大切にしているというアレというものを詳しくは知らない。創業当時から守り続けているものだとは先輩からは聞いてはいるのだが……。
 そして 汁粉社長の面がさらに曇った。
「しかし、烏龍くんは当社にとって君と同じく替え難い人材だ。彼のためならアレも惜しくはないのだが……」汁粉社長の声が小さく震えた。
「そこでだ、秋月くん。君に烏龍くんもアレも敵から守って欲しいのだよ。大丈夫、君ならこのミッションは完遂できると信じておる。やってくれるな」

 秋月は社長室から自分の席に戻った。席に戻ってからの彼は、汁粉社長からの受けた任務について、あれこれ考えをめぐらせていた。
 しばらくしてだろうか、秋月はふと部署内の同僚たちから視線を浴びていることに気が付いた。
(しまった、態度にでてしまったか……)
 秋月はすこしうろたえた。
『やっぱり転勤か……』
『たしかにいい話ではなさそうだな。いい話なら、あんなに表情が暗くないからな』
『なにかやらかしたんで社長からこっぴどく怒られたのだろう』
『なにをやらかしたんだ?』
『代金焦げ付きか?』
『いやいや、仕事の事ならあれだけ悩まないだろう』
『じゃあ女か? 秋月も見かけによらないな』
『しっ! さくらに聞こえたらエライ目にあうぞ……』
『おい、声が大きいぞ……』
 ヒソヒソにならないヒソヒソ声が部署内に響く。
(全部、丸聞こえだよ!!)
 秋月は心の中で思った。
「秋月〜。社長室に呼ばれたのはなんだったの……」
 桜子が外野の声にたまりかねて秋月に切りだした。
「いや――その――、来月に行く社長同行の中国出張の時にお客との晩餐会のセッテングを任されたから……」
 苦し紛れにうそをつく秋月。
「へぇ〜。カッコいいじゃない。秋月ってそんなに英語がうまかったのね」
(ギクッ! 鋭いこいつは……)
 秋月はそれほど英語が上手ではない事を桜子は知っている。まるでうそ発見器にかけられているような気がした。しかし、ここでうろたえるとますます怪しまれる。そこで、
「いや、英語じゃないよ、こっ今回は中国語でだよ。知らなかった? だから呼ばれたんだ」
「ふ〜ん、そうなんだ――。ちゅうごくごね、知らなかったわ……(ギヌロ!)」
 明らかに猜疑の眼差しを秋月に浴びせ掛ける桜子。その鋭い視線をモロに浴びた秋月は内心かなりうろたえた。しかしそこは"スペシャリスト"と呼ばれている彼、とりあえず平静を装った。その会話を聞いていた同僚たちは、失望とも落胆とも安堵ともとれるため息をついた。
「まあ、いずれにしても大変な仕事みたいね。あっ別に秋月の事を心配しているからじゃないからね。出張に行くなら、きちんと自分の仕事を片付けてから行ってよね! 私も今月は手一杯なんだからね!」
 やっぱり桜子は素直じゃない。内心秋月のことが心配なのだが、彼女の性格がそれを許さない。
「はいはい、桜子姫にはご迷惑をおかけしませんよ。きちんと片付けておきますよ」
「なっ、なによ! 秋月のその態度!! これじゃまるで私がわがまま言っているだけに見えるじゃないの!」
 周りの同僚たちは(また始まった)と言いたげな顔をした。桜子は普段はとてもかわいいのだが、一旦スイッチが入ってしまうと手がつけられない。とばっちりを受ける前に一人また一人と同僚たちは静かに事務所から出て行く。秋月も任務の遂行手順も考えていないので、とりあえずここから退散することにした。
「外に行ってきま〜す」
「秋月! なによ! 逃げないでね!! ちゃんと数字作ってこないと知らないわよっ!」
(しばらくは事務所に戻らないほうがよさそうだな)
 事務所を出た秋月は会社の資料室に行くことにした。ここなら誰にも邪魔をされずに任務の作戦が立てることができ、烏龍を捕らえている相手の情報も調べられる。
 会社の資料室は事務所ビルの最下階にある。地下階にあり、会社の歴史や歴代の商品などの資料を展示、保管されている部屋であるため普段あまり社員も近づかない。おまけに入室するには社長の決裁を要するので入室を希望するものもほとんどいなかった。
 ただし、"スペシャリスト"と呼ばれている者たちを除いては。
 資料室についた秋月は壁に備え付けてあるカードリーダーに自分のIDカードを差し込んだ。普通の社員ならば社長室から渡された入室カードをもう1枚差し込まないと扉は開かない。しかし秋月はカードリーダーの横にある小さな画面を人差し指でかるくタッチした。すると。
『にゅうしつかあどをおもちでないかたは、にゅうじょうすることができません。すみやかにおかえりください』
 無機質な音声が無愛想に答えた。秋月は音声を気にせず、そのまま画面に向かって親指でタッチした。
『こーどえすのにんしょうをかくにんしました。にゅうしつをきょかします』
 "こーどえす"とは"スペシャリスト"の事だ。秋月は資料室の中に入った。
 部屋の中には誰もいなかった。秋月は奥の閲覧室に行き、社長から預かった烏龍の今回の任務を調べた。
 今回彼の任務は、暗躍しているライバル会社の闇取引現場を押さえ、それまでに失った莫大な損失を補償させるための証拠固めであった。闇ブローカに扮した烏龍がライバル会社に近づき闇取引を行わせ手はずだったのが何故か事前に烏龍の計画がそのものが漏れていたということである。
「おかしい……。烏龍さんがこのような初歩的なミスを犯すはずはない……」
 秋月は資料を調べていくうちに思わずつぶやいた。
「明らかに内通者がいるな」
 思わず秋月は反射的に振り返った。誰もいるはずがない資料室に誰が!
「すまんな秋月くん。脅かすつもりはなかったのだが」
「汁粉社長!」
「たぶんここだろうと思ったよ秋月くん。それで話の続きだが、明らかに――」
「わが社の中にスパイがいますね……」
「そう、それも身近にな」
 しばらく資料室は静寂に包まれる。二人とも打開策をめぐらせていた。普段人が出入りしない資料室は空調があまり効かない。そのうち汁粉社長はポケットから扇子を取り出してあおぎ始めた。ゆらゆらと揺れるその扇子は、白檀の素材に薄く鳥の羽をあしらっていて、社長の持ち物に相応しい高級感あふれる形をしていた。
「いやあ、暑いところは苦手でな」
 秋月は何気なしに扇子を使う社長の姿を見つめていた。すると、何かがひらめいた。
「社長! この方法でいかがでしょう?」
 秋月は汁粉社長にその方法を説明した。
「なるほど、その方法か。ただし危険が伴うが……」
「いえ、たぶん大丈夫です。烏龍さんの事も心配で時間をかけられないのですが、この方法で行けば、烏龍さんもスパイもアレを敵に渡すことなく解決できます!」
 秋月の顔は自信に満ちあふれていた。

 ◎その2につづく


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