スペシャリスト秋月

その2 その4 もくじ


その3


 小部屋の中にいた烏龍は最低限の生活は保障されているようであった。彼の身なりがこじんまりとまとまっていることと、顔色がそれほど悪くないがそれを物語っていた。
 白玉は秋月に烏龍がここにいる理由を説明し始めた。
「彼は君も良く知っている汁粉社長の懐刀の社員だが、訳あってここに居て頂いている。なに、別に命を取ろうとしている訳ではない。彼と引き換えに汁粉社長が大切にしているのモノを頂戴しようと言うのだ。そのものがあれば、この業界を牛耳ったも同じ。それほど価値の有るものを持っているんだよ」
「それって誘拐?」
「人聞きの悪いことを。これはただの商売上の取引だよ。そうだ、もう向こうの会社に未練がないなら彼をこちらに取り込んでくれないか?」
 穏やかに諭すように秋月に語りかける白玉。しかし言葉とは裏腹にその表情は怪しく、猜疑の目が向けられていた。
「わかりました」
 秋月は静かに烏龍の部屋に入っていった。烏龍は秋月の姿を見ると一瞬たじろいだ。
「秋月くん……」
「烏龍さんお久しぶりです」
「何で君がここに?」
 事情が飲み込めない烏龍。
「実はここの人間になったのですよ。汁粉社長に裏切られてね……、あっさり解雇ですよ。表向きには自主退職ですけど」
 そう言ってポケットから1枚の紙を取り出し烏龍に見せた。そこには秋月の退職が記されていた。社内機密事項を他所で漏らしたという理由で。
「どうして……」
 絶句する烏龍。秋月は顔面蒼白の烏龍に語りかけた。
「これが現実です烏龍さん。あなたもいずれ私と同じ運命ですよ。さあ、私からの話を始めましょうか」
「……」
 烏龍は言葉を発することができない。
「『頭を取ろう』と言っていた頃が懐かしいですね。私たち」
「……」
「あの会社には私はもう戻れないのです」
「そんな、君が……ウソだろう」
「しかし、事実なのですよ。私はもう会社を追われたのです」
「そんな事って……」
「たった1枚の紙切れで私の運命が決まってしまったのですよ」
「何故だ! 秋月、嘘だろう! 君はあんなに頑張っていたじゃないか!」
 語気を荒げる烏龍。それでもあくまで穏やかに語りかける秋月。
「ただ、私は捨てられたのですよ」
「うそだ、嘘に違いない」
「全てを受け入れて下さい。烏龍さん」
「わかった、これは作戦なんだろう。汁粉社長のそうだろう。そうに違いない」
 目が虚ろになり夢遊病者のごとく視線を泳がす烏龍。そんな先輩の姿を見て秋月は哀れにも似た感情になった。
「結局、あなたは一番解っていないのですね。じゃあ、何故あなたがここで監禁されているのに誰も助けに来ないのですか!」
「……」
「まだ解らないのですか! あなたももう捨てられたも同然なのですよ。ボロ雑巾のようにね」
「……」
「すみません。少し言い過ぎました。これも烏龍さんのことを思ってなんです。もし良かったら、私と一緒に仲間になりませんか? この白玉社長のもとで。それが烏龍さんそして私にとって一番いい選択だから……。私から伝えたい事はそれだけです」
 しばしの静寂が部屋を包み込む。部屋の中には秋月と烏龍が対峙している。部屋の外では白玉が二人の会話を一部始終聞いている。秋月の名札に仕込まれた盗聴器を使って、一言一句でも聞き漏らさないように。そして、烏龍は小さく秋月に向かって声を発した。
「わ、解った。秋月の言葉。しっかり響いたよ。すべて秋月の言うとおりにしよう」
「解っていただけましたか。烏龍さん。ありがとうございます。後の事は私に任せてください。ただ、白玉社長は私たちをそう簡単には信じてくれないと思うので一つだけ烏龍さんの知っていることを教えてください」
「?」
「あの会社の大切な『アレ』を教えていただきたいのです」
「!」
 烏龍は絶句した。まさか秋月がそんなことを聞いてくるとは思わなかったからだ。
「それは――。君もスペシャリストだったから知っていると思っていたが……」
「実は良く知らなかったのですよ。烏龍さんなら知っていると思って」
「それは……」
 部屋の外では白玉が耳を凝らしているのがわかる。『このようなところでそんな事を言うのか』という表情を烏龍はした。しかし、秋月はいつになく真剣な眼差しで大きく頷いた。烏龍は秋月の視線に負けてゆっくり語り始めた。
「あの会社の『アレ』は創業時代から汁粉社長が大切にしているものだそうだ。本当のところ何かは私にもわからない。実際に見せてもらってはいないから。ただ汁粉社長が一番好きなもので、相当高価な材質で作られているそうだ。たしか純金とか聞いたことがある」
「純金ですか……」
 思わずため息をつく秋月。
「僕が知っているのはここまでだ」
「ありがとうございます。烏龍さんの勇気に敬意を表します」
 秋月は部屋を出て待っていた白玉に事の次第を話した。
「白玉社長。うまく彼を取り込めました。まだ少し疑っていますが、それも時間の問題でしょう。私が彼を監視しますから」
「よくやってくれた。あの烏龍くんは汁粉社長のところでかなり腕利きだったのだろう。彼が加わればこちらはかなりの戦力になり、向こうはかなりの戦力ダウンだ。しかし良く丸め込んだもんだ」
「いや、私が解雇されたというのがかなり効いていると思います」
「そうだろうな、君にとっては言われもない事だったからな」
 そう白玉に言われて秋月は少し悔しさを滲ませて伏目がちになった。白玉はその表情を見て、
「実は少し君を疑っていたのだがもう話してもいいだろう。明日夜に彼をダシに汁粉社長取引を行う。彼の身を引き換えに汁粉社長のモノを頂くのだが、君にその取引に同行していただきたい。もちろん素直に取引に応じる奴らとは思えない。だから君を使って油断させて、彼の身も汁粉社長の大事なものも両方総取りする算段だ。どうだやってくれるな」
 秋月は静かに頷いた。

 夜、波止場。薄暗い倉庫の中で人が数人集まっていた。彼らは闇の中にもかかわらずモノトーンの服装を身にまとい、人相がわからないように帽子を深々とかぶっていた。ただ、たった一人だけ他の者とは違い両手両足を縛られ、目には目隠し、口にはさるぐつわをはめられていた。白玉に監禁されていた烏龍である。
 秋月はその烏龍の傍らにいて、逃げ出さないように監視する役目を任されていた。
「白玉社長、取引にきますかね」
 秋月はひそっと白玉に聞いてみる。
「あいつなら来る。間違いない」
「それはそうと白玉社長。何故取引場所が波止場なのですか」
「それはな秋月くん。古今東西、むかしむかしから裏取引や闇取引の場所は波止場と決まっているのだよ」
「そういうものですか?」
「そういうものだ」
 取りとめもない話をして、時を刻んでいく。しばらくすると入り口の方から人の気配がした。
「来たか……」
 漆黒の闇から数人が倉庫に入ってきた。汁粉社長とその会社の者たちだった。一人は重そうなアタッシュケースを抱え、残りのものは、かなり大きな箱を重そうに二人がかりで抱えていた。
「遅かったな汁粉、いや汁粉社長」
 白玉はゆっくりとそして機械的に語りかけた。
「久しいな白玉、いや白玉社長。お互いこんな形で会いたくなかったな。お互いの夢を求め切磋琢磨した頃が懐かしい」
 穏やかにそして子供に語りかけるように話す汁粉。
「昔話を語るために貴様を呼んだわけではないというのは解っているな」
「もちろんだ」
「なら話は早い。取引の話をしよう。こちらからの約束のものは持参したか?」
「それならここに」
 汁粉はアタッシュケースを持った者を招き寄せ、ケースを半開きにして中身を白玉に見えるようした。鞄には札束がびっしりと敷き詰められていた。
「これが烏龍の身と引き換えのものだ」
 白玉の目が怪しく光り、
「その大きな箱は例のアレか」
「そうだ」
「中身を改めさせてもらおう」
「その前に烏龍の安全を確かめさせろ」
 一瞬静寂が訪れる。だがここは白玉が譲歩して顎をしゃくって秋月に合図する。すると、秋月に押し出されるように縛られた烏龍が白玉の脇に立たされる。
「おおっ、烏龍くん、大丈夫か」
 烏龍は目と口を塞がれているので軽く会釈をするのみだった。一方の汁粉は烏龍の背後にいる秋月に気がつき思わず息を飲んだ。
「秋月くん……。君が何故ここに?」
「汁粉社長その節はお世話になりました。今は白玉社長のところでご厄介になっています」
「そうか……」
 何か言いたげな汁粉。そこに白玉が割って入った。
「ここは、君たちの再会を喜ぶための場ではないの筈だがね。そろそろ取引の話を続けようじゃないか」
 白玉の言葉で汁粉の面が険しくなる。
「お互いの間に取引のモノを置こうじゃないか」
 白玉の言葉で汁粉側から現金が入ったアタッシュケースを持った男が、白玉側から白玉の社員が烏龍を連れて行く。そしてお互いが対峙したとき、男はアタッシュケースを少し空けて、白玉に現金を確かめさせた。それを見た白玉は、男に合図した。すると男はアタッシュケースと烏龍を交換せずにそのまま振り返り汁粉たちの方を向いてそのまま烏龍の横に立った。当然烏龍は開放されていない。
「!! どういうことだ!」
 荒々しく汁粉は叫ぶ。白玉はその言葉を待っていたかのようにいやらしく笑みを浮かべ
「どうもこうもありませんよ。何もかも我々の計画通りという事ですよ、汁・粉・社・長」
「はっ、謀ったな白玉!」
「こんな所にノコノコやって来て、謀るも謀らないもないでしょう。この日のためにどれだけの労力と金を費やしたことか……。それもこれも汁粉社長。あなたの横にあるその箱の中身を手に入れるためなのですよ」
「くそ〜!」
 白玉はそんな汁粉の罵声には耳を傾けず、意気揚々として語りだす。
「ところで『埋伏の毒』言葉をご存知かな? そう中国の書物『三国志』の中で出てくる策略の一つだ。これに倣って、お宅の会社にうちの社員を潜り込ませ信用を得させたのが、ここにいるこの男なのですよ」
 満足そうに語る白玉の横でアタッシュケースを抱えた男が悪びれることなく頭を下げた。
「……」
 絶句する汁粉。その汁粉を蔑んだ目を向ける白玉の演説は続く。
「おまけにこの男から秋月くんが会社から追われたと聞いてまんまと取り込ませていただいたよ、随分自分の所の社員には酷いことをする奴なんだなお前は。まあ全ては『身から出た錆び』てことか。汁粉社長」
「……」
 ぎりぎりと歯噛みする汁粉。その姿を満足そうに確かめながら白玉は続ける。
「さあ、本当の取引と行こうじゃないか。なぁに話は簡単だよ。その君の手元にあるその箱と、今わが手中にある烏龍の身とこの現金とを交換しようというのだよ。こんなはした金は最初から眼中にない。ほんとに欲しいのはその箱の中身だよ。キミには選択権はないよ。拒否すれば現金はおろか、烏龍の身の保障はないと思うんだな」
「なにが取引だ、現金は今ここで私たちからくすねたものだろ! まして烏龍は人質じゃないか。卑怯者!」
「ははははっ! なんとでも言うがいい。負け犬の遠吠えとはお前のことを言うのだ。この負け犬が」
「くそ!」
「さっさと取引と行こうじゃないか。こちらは彼と現金だ。その箱を渡せば金はすべて返してやる。その後で箱の中身を確認すればこいつは解放してやろう」
 汁粉は合図をした。もう残された道はない。黒い大きな箱を両陣営の真ん中までゆっくりと持っていった。白玉側からはアタッシュケースを持った秋月が黒い箱に近づく。秋月は黒い箱に近づき、箱の重みを確認してから、ゆっくりと箱を白玉の前に移動させた。そして秋月は、現金の入ったアタッシュケースを持って を再び白玉の傍に戻ってきた。
「秋月くん。どういうことだ? 現金は汁粉に返してもいいのだぞ」
「お言葉ですが白玉社長。ここはもっと悪どく行かないといけませんよ。せっかくアレも私も烏龍も現金も全て手に入れられるのですよ」
「それはそうだが、そこまではいくら私でもそこまでするつもりは無い。あいつのアレを手に入るだけで十分だ」
「そうですか……。甘いですね。そんな事言っているから、いつまでたっても汁粉社長を追い越せないのですよ」
 不敵に笑う秋月。
 その秋月の態度と言葉を聞いて、白玉は一瞬背筋が凍る思いがした。それを見て汁粉が急に口元に笑みを浮かべ白玉に話し掛けた。
「どうした? 全て計画通りにことが運んでいたのではないのか?」
「なんだと! せっかく金を返そうとしてやったのにその言い草はなんだ。あまりの屈辱で気がふれたか」
「ほほう。そうか。計画通りでないのか。お前は知らないのか……」
「なにが知らないだ」
 絶対的不利な状況にもかかわらず。急に態度が変わった汁粉に戸惑う白玉。その態度を見てなおさら汁粉は笑みを浮かべつつ話を続けた
「やっぱり知らないのだな。三国志の『埋伏の毒』の続きを――ならばここで教えてやろう。この話は『埋伏の毒』を呉に仕込んだ魏の曹操の謀リ事を呉の周瑜に看破され逆に『苦肉の策』を仕掛けられ赤壁の戦いで大敗するという話だ」
「だからなんだ」
 荒々しくはき捨てるように言う白玉を見て汁粉は一歩、また一歩ゆっくりと白玉に近づいてきた。
「ここまで言ってもまだわからないなら教えてやろう。白玉――お前の謀リ事は全てお見通しなんだよ!」


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