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● 外伝第6話 --- 結び目の理由(わけ) ●

 秋もそろそろ深まっていく頃、剣道部は秋の入替え戦を控えていた。武道場では、普段の練習後に残って自主的に練習を続けている者たちの気合のこもった声が飛び交っている。
「いやぁ!」
「はぁ!」
「中村くん、体の動きが悪いわよ、剣先をしっかり立てる! もっと足を使って! 北条くんも遠慮せずに打ち込む!」
「いやぁ! 面!!」
「今度は北条くんの踏み込みが甘い! それじゃ有効にはならないわよ、中村くんも休まず攻める!」
「あぁぁ! 胴ぉ!」
「だめだめ中村くん、残心があいまいよ。しっかり入れないと(審判は一本を)取ってくれないわよ、きちんと足捌きをしないとダメ! 身体が前のめりになっているわよ!」
 二人とも最後の力を振り絞るように気合を出す。竹刀同士が触れ合った刹那お互いが飛び出す。
「面!」
「小手!」
 両者激しくぶつかり合うが相打ちで有効打突にならない。疲れも手伝って動きがままならない。
「二人とも攻撃パターンが単調よ! 相手に次に出す技を悟られないようにしっかり足を使って!」
 もう限界をこえていた。肩で息をしているのが見て取れる。
「いやぁ! 小手面!」
 剣二が小手打ちと見せかけて合わせ技で竜太の面を狙う。竜太はその小手を寸前で身体を引いてかわしてから剣二の胴を狙う。
「胴おぉぉぉ」
 剣二の面打ちが空を斬り、かわりに竜太の胴打ちが鮮やかに決まった。残心もしっかり取れた。
「胴あり!」
「先輩ちょうど五分です」
「はい! 一旦そこまで。少し休憩したらもう一本行くわよ」
 先輩と呼ばれたその人は、きりりとした表情と長い黒髪がトレードマークの東堂しのぶ。剣道部の次期女子主将である。このしのぶに厳しく練習を受けていた二人は後輩の中村竜太と北条剣二。二人は一旦面をとって休憩する。
「ふぅ〜、きついなぁ」
「これで連続十セット目やわ。きつくない方がおかしいわ」
 今二人は試合形式で練習を行なっている。一回の試合時間が五分なのでおおよそ一時間ほど続けている。
「さあ、あともう少しがんばりましょ! 二人とも本当に良くなってきているわよ」
「はい――、先輩ありがとうございます……」
「あともう一息――がんばりますわ……」
 二人とも話をするのも苦しほど息が上がっている。それでもなお頑張ろうとするのは、先輩が親身になって教えてもらっている事に他ならない。
「東堂先輩、今日は特に気合が入ってますよね」
 三人にタオルや飲み物を渡していたのは、自分の練習が早く終わって武道場に来ていた西園寺かえで。ただ見ているだけでは皆に申し訳ないのですすんでマネージャー役を引き受けていた。
「そうね、二人の頑張りが私をそうさせているのかしら……」
『普段の練習どおりよ』というしぐさをするしのぶ。その横で上がった息が少し戻ってきた竜太が言う。
「いやいやかえで、今日のしのぶ先輩はものすごく気合はいっているぞ――、その証拠に先輩のリボンの色が紫だろ」
「ほんとだ、きれいな紫色のリボン」
「先輩は練習の時にはオレンジや黄色のリボンなんだけど、集中したい時や、試合の時は紫色の勝負リボンをつけるんだ。その時の先輩はもうムチャクチャ気合が入っていて、物凄く恐いから、みんなは勝負リボンの時の先輩を『忍御前(しのぶごぜん)』って呼んでいるんだ」
「忍御前!?」
「そう、『巴御前』をもじってらしい」
「あっ、その人私知ってるよ。確か昔の人で木曾義仲という人と一緒にいた女性で、なぎなたの名手じゃなかったかしら?」
「こらっ、中村くんおしゃべりがすぎるわよ、人を化け物みたいに言わないの。これはただのおまじないなんだから」
 ちょっと諭し気味にしのぶが注意する。
「おまじないなんですか――」
 かえでは竜太の話を聞いた後なので恐る恐る尋ねてみる。
「そう、自分自身へのおまじない。そういえば前に西園寺さんに話をしたことなかったかしら? 私が目標としている先輩の話」
「あっ、去年でしたっけ、先輩の昇段試験のときにお守りをお借りした――」
「その先輩が、勝負時に紫のリボンをつけていたから、少しでも先輩に近づこうと思ってね。でもまだまだかな」
「どんな先輩なのですか?」
「そうね――、聞いてみたい?」
「はい!」
 かえでの後ろから竜太と剣二が元気よく答えてきた。
「じゃあ休憩ついでに話をしようか、私の憧れの先輩、西桐(さいとう)はるみ先輩のことを」

 しのぶは、皆の前でゆっくり話し始めた。
「私が中学一年生の時、入学してから迷わず剣道部に入ったの、もちろん小学校の時から続けていたこともあるのだけど、やっぱりもっと強くなりたかったか ら。入部してからしばらくは、同級生よりも剣捌きや足捌きは上手かったし、試合をしても一番強かったわ。他校との試合も連戦連勝。もちろん一年生からレギュラーで先鋒を任せられりして、もう飛ぶ鳥を落とす勢い。でもそこに落とし穴があったの」
「落とし穴ですか――」
「そう、『慢心』という落とし穴。自分が一番だと思い込んだの。おかげでその頃はもう誰の意見も注意も聞かなくなっていたの。今にして思えばなんてバカだったんだろうと思うけどね。所詮は井の中の蛙よね」
「東堂先輩が人の話を聞かないなんて、私、今の先輩を見ていてとてもそんな風に見えません」
 かえでは驚いてびっくりしたような声を上げる。
「西園寺さん、そんなにかいかぶらないで、私も普通の人なんだから……。それで、そんな時だったの、西桐はるみ先輩が私を注意してくれたの。西桐先輩は私より学年が一つ上の二年生で副主将だった人。私よりも少し小さい人だったけど、スピードは部内で一番だった。でも理由があって試合には出ていなかった。当時の私は『スピードがあっても弱いじゃないの』と思っていたわ。中村くんは知っているわね、西桐先輩のこと」
「はい、僕が一年生の時に。でも引退されていたので、練習姿は見たことなかったけど……、あっ、一度だけ部を見にこられて、制服のままだったのにいきなり教えてもらった気がします。なんか小さい人だったけど、教えるのが上手でしたよね」
「剣道のことになると、もう前しか見えない人だから」
 ふっと、思い出し笑いを浮かべるしのぶ。
「そんな先輩が、たぶん見るに見かねたのだと思う。私ところに来て『東堂さん、私と一勝負しようか』と。その時の部は下級生と上級生との勝負を禁止していたの。体格でも技術も違いすぎるから、その禁を犯してでも私に注意したかったんだと思うの。でもその時の私はもう天狗になっているから、『簡単に勝てる』 と思っていたわ」
「その勝負はどうならはったんですか?」
 今度は剣二が身を乗り出してきた。しのぶは眼差しを少し遠くに向けるようにして、
「そうね、結果から先に言うと私の負けよ。それもコテンパンという言葉が当てはまるくらい完敗。打ちのめされてしまったわ。もう私は持てる力の限界。でも先輩はまだまだ余裕だったわ……」

「やぁぁ! 面!」
「甘い! 技が単純よ。剣先に力がこもっていない! そんなんじゃ簡単に受けられてこうよ!」
 はるみの竹刀がしのぶの面打ちを受け止めそのまま払い、その動きでしのぶの小手を捉える。
「小手あり!」
「くっ!」
「どうしたの東堂さん、威勢が無いわよ。そんなんじゃ今度の大会には出させてもらえないわよ」
「先輩もう一回お願いします!」
「もちろんよ、こんなんじゃないでしょ、東堂さん!」
「いやぁあ!」
「気合だけでは勝てないわよ、こちらから行くわよ!」
 はるみがしのぶの竹刀を払い体当たりするように懐に飛び込んだ。動きが先ほどよりも早い。しのぶは何とか体を横にして避けようとするが間に合わない。二人の竹刀同士がぶつかり合い、その反動でしのぶの手から竹刀が落ちた。
「待て! 反則一回」
「すみません。先輩」
 息が上がってしまい、謝る声を出すのも苦しいほどだった。
「大丈夫?」
「大丈夫です! 私やります」
(どうしてなの? どうして勝てないの! 先輩はそんなに力を出していないはず。なのに何故打ち込めないの……)
 しのぶは竹刀を拾い、構える。それに応えるかのようにはるみも構える。しのぶは『こんなはずではない』という焦りと、はるみに対しての『恐い』という気持ちが交錯し、構えにまで出ていた。当然心と身体がバラバラでは剣道にならない。
「やぁぁ!」
「あぁぁぁ!」
 しのぶは中段の構えからはるみの竹刀を払いながら出かたを伺う。はるみはじっと流されるままに竹刀を中段に戻す。そこではるみがしのぶに対して
「東堂さん。もっと素直になりなさい。強くなりたいんでしょ。あなたはこのままつぶれてしまってはダメ」
「え?」
 本来試合中に話をすることは厳禁である。しかし、はるみは続けた。
「せっかくの努力を無駄にするの? 皆より早く来て素振りをして、皆よりも気合を出して、皆よりも遅く残っていたあなたを私はダメにさせない。さあ、もう一度しっかり基本を思い出して私に向かってきなさい!」
 (!!)
 しのぶはここで気がついた。先輩はすべてお見通しだということ、自分に慢心があったということ、そしてその過ちを広い心で諭してくれる先輩がいることを。
 しのぶは、意を決し、最後の力を振り絞ってはるみに向かって思いっきり踏み込んでいった。胸を借りるかのごとく。
「はぁぁぁ!」
「いやぁぁ!」
 両者は竹刀同士をぶつけ合う。そして鍔迫り合いとなり、はるみがしのぶに押し出されるように下がったところに、しのぶの引き胴が鮮やかに決まった。
「胴あり!」
 主審の声を聞いたとたんしのぶはそのまま力尽きて床に倒れこんでしまった。

「本当に完敗だった……」
「西桐先輩って、東堂先輩のことわかっておられたのですね」
 かえでが少し感動したように言った。
「そうね、後でほかの先輩から聞いたんだけど、私が入部してから先輩に注意されるまでと、西桐先輩が中学一年生の時とは同じだったらしいの。けれど先輩にはだれも注意してくれる人が周りにいなくて、物凄いスランプになってそれを克服するのにかなり苦労されたみたいなの。だから余計に私を見て、黙っていられなかったんじゃないかな」
「昔の自分を見るようで、ですか」
「そうね、たぶん……。それとこれも後からわかったのだけど、実は先輩は胸の病気があって、長時間の練習や試合ができなかったの。そんな身体だったのにあえて先輩は私を導いてくれた。もう、身も心もこの人にはかなわないと思ったし、この人のようになりたいと思ったの」
「その先輩が紫のリボンをしていたのですね」
 かえでがしのぶの紫のリボンを見ながら言う。
「そう、少しでも近づきたくてね」
 少し照れくさそうにしのぶは笑う。
「その西桐先輩はここ(桜ヶ丘高校)におられるのですよね」
「ええ。先輩が桜ヶ丘にいるから私もここに決めたの」
「すごい話ですね。なんかホント感動しました」
 かえでは瞳がかなり潤んでいる。
「でも、そういえば西桐先輩は部活には来ておられませんよね」
 竜太が気がついたようにしのぶに言う
「そう。先輩は私がここに入部した後、ちょっとしたことがあって、病気が悪くなってから少し早めに引退されたの」
「……」
「でもね、先輩に教えてもらった事はしっかり私が引き継いで行こうと思っているの。しっかり後輩たちを見ていける人にね」
「そうなのですか……」
「だから、紫のリボンは私のおまじない」
「『忍御前』のサインでもあるのですね。厳しくて恐いから」
 竜太と剣二がしみじみと言う
「こら! 中村くん、北条くん。そんなに言うなら、もっと厳しくしてあげるわ。さあ休憩も終わりよ。西園寺さん、また時間お願いね」
「はい! 先輩!」
「あと一本、気合出して行くわよ! 中途半端な打ち込みだったらもう一回延長よいいわね!」
「はい!」
 再び練習が始まった。竜太と剣二の練習試合を見ながらしのぶはあらためて自分自身に言い聞かせるように髪を結いとめている紫のリボンをキュッと締め直した。その結び目にこめられた理由(わけ)に想いを馳せながら……。
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