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● 第12話 --- 贐(はなむけ) ●

 最終試験の組合わせ結果で武道場には、新入生たちのどよめきと安堵が入り混じった声が上がっていた。その一方で現役生は、最終試験の準備を行っていた。東堂しのぶもその一人で、武道場の床を掃除したり、最終試験の組合わせ表を張り出したりと、忙しく裏方の仕事をこなしていた。
 程なく武道場での作業をほぼ終えたので、先ほどの組合わせの道具を武道場の収納室に片付けようと廊下に差し掛かった時、しのぶの行く手を竹刀が遮った。
「お久しぶりだね。東堂しのぶクン」
 そう言われてしのぶは一瞬驚いた表情になる。しかし、すぐに面を引き締めた。
「こちらこそ、お久しぶりですね。発田先輩」
「見る様では元気そうだね」
 優しく微笑みかける発田に対してしのぶはその顔を見ない様にして先を急ごうとした。
「おっと、そんなに急がなくても――何かあるのかな? しのぶクン」
 そう言われてしのぶは思わずキッとした眼差しで発田を睨み付ける。
「そんなコワイ目でボクを睨まなくてもいいじゃないか。ボクの知っているしのぶクンとは別の人みたいだ」
「もともと私は怖い目なんです」
「そんな――拗ねた言葉はキミらしくない」
 その言葉を聞いてしのぶは発田に対して声を荒げた。
「急にいなくなったと思ったら、いきなり帰ってきて何事も無かった様に話する人に、キミ呼ばわりをされたくありません」
 しのぶの言葉を受けて『おお、コワイ』というしぐさをする発田。その行為が余計にしのぶの怒りを増幅させた。
「いったい今まで何をしていたのですか。発田先輩がいなくなってから、西桐先輩は心労でご病気が悪くなったのですよ。どうして先輩は西桐先輩のことをもっと大切にしてあげないのですか! 西桐先輩の一番の理解者で、一番大切な人なのに、どうしてなのですか!」
  西桐先輩とは、しのぶが心より慕っている剣道部の女子部先輩、西桐はるみのことである。
「はるみはボクの事を解っていたからさ」
「じゃあ、なぜ西桐先輩だけには言って行かなかったのですか」
「言ってどうするんだい? ボクが彼女を連れて行けるとでも思っているのかい? 何故ボクが休学したのかを説明しても、結局はるみはどうする事も出来ないじゃないのかい?」
「でも、お二人はお付き合いされていたのでしょう!」
「そうだね。下世話な言葉で言うと恋人かな?」
「なら、尚の事言って欲しかった」
「何度も言う様だけど、はるみはボクの事を理解してくれていたよ。病気については気の毒な事をしたと思っている」
「本当にそうお思いですか?」
「はるみはボクを理解してくれている」
 そう聞いてしのぶは大きく息をついた。
「そのうぬぼれがどれだけ人を傷つけると思っているのですか……発田先輩。もう気易く私に話しかけないで下さい。もうあなたは私が憧れていた剣道の達人でもなく、西桐先輩が一番大切に想っている人でもありません」
「ボクもずいぶんと嫌われたものだね、でもボクは此処に戻ってきた」
「そうですね、でも剣道部(ここ)に戻れたというのいうのは、まだ早くはありませんか?」
 しのぶの挑発的な言葉を聞いて、発田は眼差しを鋭くする。
「キミはボクがこの入替え戦で負けるとでも?」
「勝負に『絶対』は有り得ません」
 発田はしのぶの言葉を聞いてから、少し間を空けた。そしてゆっくりとしのぶに問いただすように話し始めた。
「なるほど――だからキミはわざと自分の後輩クンをボクに当てたんだね。何故だい? 普通ならボクと組ませないようにすると思うよ。後輩クンが大事ならね。それともキミはボクがその後輩クンにとって安全パイなのかな」
「抽選結果は偶然です。私がそんな事するわけないじゃないですか! 確かに先輩だけは当たって欲しくなかった。でも当たってしまった――それだけです」
「もっともらしい言い訳をしてくれるね。嘘をついてもボクには解るよ。キミは嘘をつくのが下手だったから」
 そう言って発田はしのぶに向かってクスリ笑い、
「じゃあキミの持っている抽選箱の中を見せていただこうか。どうだい? おそらくボクとキミの後輩クンの名前のカードは入っていない。そうすれば、必ず僕たちは最後に名前を呼ばれ、めでたく同じ組になるね」
「……」
 しのぶは何も答えない。発田はしのぶの態度を見て満足げに話を続けた。
「どういう事だい? いったいキミは何を企んでいる? ボクにどうして欲しいのだい?」
「……一度しか言いません。発田先輩、あなただけには戻ってきて欲しくありません。この剣道部、そして私の目の前からも」
 絞り出すような声と苦悶の表情で話すしのぶ。
「ん? さっきの話と矛盾するね。はるみに対してもっと大切にしろとボクに言ったのはキミじゃないのかい? はるみのためにはボクがここ戻る事が一番いいのじゃないのかな?」
 しのぶの気持ちを逆撫でするように発田は話す。
「私――私はこの剣道部を守りたいのです。先輩が作った伝説で壊れてしまったこの剣道部を元通りにしたいのです。次期女子部の主将として」
「壊れてしまった? 人聞きの悪い事を言うね。先の玉竜旗では誰のおかげで注目されたと思っているのかな? 全国にその名が轟くわが桜ヶ丘高校剣道部が」
「そうですね。先輩のおかげで有名になりました。でも剣道の本質を見失わせる元凶ともなった。部は迷走をはじめ、そして先輩はいなくなった。勝負と言う魔物にとりつかれ、ただ勝つ事だけにしか生きる道を見出せない亡者のように」
 しのぶがそう言うと、発田から笑顔が消えた。
「私はこの部を立て直します。でも先輩がおられるとそれが出来ません。だから戻って欲しくありません。伝説の人は伝説のままであるべきなのです」
「随分ボクの事をこき下ろしてくれるね。何も解っちゃいない小娘の分際で」
「先輩こそ、剣の道の事を何一つ解っていないお坊ちゃんのくせに」
 その言葉で今にも殴りかかりそうな勢いで発田はしのぶの稽古着の胸倉をつかむ。
「それが、剣道のあらゆる事を教わった者への態度かい?」
 しのぶは動じずに話し続ける。
「ええ、確かに教わりました。でも堕ちてしまった今のあなたからではありません」
「ボクに憧れて、ここ(桜ヶ丘高校)来たのをもう忘れてしまったのかな? 傍目にははるみを慕ってと思われていたみたいだけど」
「うぬぼれないで下さい。私は西桐先輩に憧れてここに来たのです」
 しのぶは発田の手を払いのけて、先を急ごうとする。しかし発田は前へ通さない。そしてしのぶに顔を近づけつつ話を続ける。
「話を戻そうじゃないか。そう、組み合わせの事だよ。いくら考えても解せない事だね。普通後輩クンを入部させたいなら――」
「発田先輩と同じ組から外しますね」
「じゃあ、何故同じ組にしたんだ! 僕に負けると彼はここに入部できないのだぞ!」
 しのぶに対して凄むように発田は問いかける。その態度にしのぶは、ふっとため息をつき、
「先輩、やはりあなたはもう本当に物事の本質を見られなくなってしまったのですね」
「何だと!」
「先輩は既に自分がここでは一番強いと思い込んでおられる。でも私はそうは思いません。さっき先輩は『世界は広い。世間も広い』と仰られてましたね」
「だから、その話と、キミの後輩とボクを戦わせるのとどう関係があるんだ」 
 発田はしのぶの回りくどい言い方に苛立ちを顕にしてきた。
「まだお解りにならないのですね……残念です。先輩は私の後輩、中村君を見て何も感じませんか? 彼の剣に対する真摯な思い、天才と呼ぶにふさわしい溢れんばかりの稀有な才能を。私ははじめて彼に会ったときから感じていました。まだ荒削りで未完成ながらも」
「そんな事ぐらい解っている! だが組み合わせの答えにはなっていない」
「簡単なことです。彼は先輩に勝てる人物だからです」

 二人の間に沈黙が支配し、お互い視線を外さず対峙する。まるで今から勝負が始まるかのごとく、鋭くそして激しく。
 その静寂を破るように発田がしのぶに語りかける。
「キミのその言葉、その自信はどこから来るのかな」
「私は彼を信じています」
「……ボクはキミが時々解らなくなるよ、しのぶクン」
「私も今の先輩のことは良く存じません。もうあなたは昔の優しくて強い先輩ではありませんから……」
 再び二人は間合いを取るように睨みあう。しばらくすると、しのぶは発田から視線を外し、ゆっくりと発田の竹刀を押しのけて収納室に向って歩き出した。
 しかし数歩先に進んでから立ち止まり、発田に対して後ろ向きのまま話し始めた。
「中村竜太――。彼の才能は間違いなくあなたより上です。この東堂しのぶが太鼓判を押します」
「何!?」
 声を荒げる発田。その声を遮る様にしのぶは続ける。
「彼は自身の本当の力に気がついていないだけ。しかし、あなたと剣を交える事でその才能は目覚めます。彼にとって入部試験は一つの通過点。あなたの力など彼の比ではないはず。ここまで言えばもう組み合わせの理由なんて要らないでしょう――彼はあなたに勝ちます」
「その思い、このボクが叩き潰してやるさ」
 しのぶは発田の捨て台詞を聞くと、ゆっくりと発田の方へと振り返り、諭すように語り掛けた。
「発田先輩。これでもうあなたと話をする事は無いでしょう。だから最後に一言だけ言います。あなたが彼と真剣に立ち会えば、あなたを今も苦しめる勝負の亡者から逃れられるでしょう。心して彼と戦ってください。これが私の憧れだった人への贐(はなむけ)です」
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